建部政周
建部 政周(たけべ まさちか)は、江戸時代中期の大名。播磨国林田藩の第4代藩主。官位は従五位下・丹波守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延宝2年(1674年) |
死没 | 宝暦7年11月20日(1757年12月30日) |
改名 | 庄九郎、政周、勝隠(号) |
別名 | 又右衛門、主計(通称) |
墓所 | 京都市北区紫野の大徳寺芳春院 |
官位 | 従五位下・丹波守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家継→吉宗 |
藩 | 播磨林田藩主 |
氏族 | 建部氏 |
父母 |
父:建部政宇、母:不詳 養父:建部光成 |
兄弟 | 政辰、政周、内藤忠種正室、猪飼晴光室、有馬氏倫正室 |
妻 | 建部光成の養女 |
子 | 政民、九鬼隆寛、光之、有馬光隆ら |
略歴
編集第3代藩主・建部政宇の次男として誕生した。幼名は庄九郎。通称は又右衛門、主計。
はじめ、建部光成の養嗣子となり、その養女と結婚した。しかし元禄16年(1703年)2月29日に兄の政辰が病弱により廃嫡されたため、本家に戻って世子となる。正徳5年(1715年)、父の死去により跡を継いだ。享保17年(1732年)9月23日、長男の政民に家督を譲って隠居し、勝隠と号した。