弦田 英太郎(つるた えいたろう、1920年 - 2014年9月21日)は日本の洋画家日展会員、一水会常任委員を務めた[1]

舞妓や裸婦、バレリーナなどを得意とし、神秘的色香を追求した[1][2]

経歴編集

1920年、東京都大森区新井宿(現大田区中央)に生まれる[3][2]

東京美術学校(現東京芸術大学)に入学し、油絵科(藤島武二教室)を1942年に卒業する[3][2]。卒業する年から1949年まで第二次世界大戦のためヨーロッパに戻れずにいたスイス人画家コンラッド・メイリ(Conrad Meili, 1895年-1969年)に師事する[3][2]。1942年には第6回一水会展で初入選している[2]。また、1949年には有島生馬にも師事している[3]

1950年に裸婦画「マヤ」で日展の特選となる[1][3]

1992年に一水会委員に推挙され、日展で審査員を務める。1993年には日展会員に推挙される[1][2]

2014年9月21日、肺炎のため死去[1]

出典編集

  1. ^ a b c d e 【トピックス】 「新美術新聞」掲載 美術界のできごと(2014年11月1日号~21日号分)”. 新美術新聞 (2014年12月2日). 2018年8月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 弦田 英太郎/TSURUTA Eitarou”. 一水会. 2018年8月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e 『「弦田英太郎卒寿記念洋画展」パンフレット』、2011年。