徐羅伐朝鮮語: 서라벌; ソラボ、じょらばつ)とは、新羅の古い国号、あるいは大韓民国慶尚北道慶州市の古称である[1]

徐羅伐
各種表記
ハングル 서라벌
漢字 徐羅伐
発音 ソラボ
日本語読み: じょらばつ
文化観光部2000年式
マッキューン=ライシャワー式
Seoraboel
Sŏrabŏl
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概要編集

新羅の始祖、朴赫居世が即位する時に、「徐羅伐: 서라벌; ソラボル、じょらばつ)」[* 1]あるいは「徐那伐: 서나벌; ソナボ、じょなばつ)」[* 2]という国号を使用した。

この他にも、「徐耶伐서야벌; ソヤボ、じょやばつ)」・「斯羅사라; サラ、しら)」・「斯盧사로; サロ、しろ)」・「徐伐서벌; ソボ、じょばつ)」などがあるが、これらは全て斯盧사로; サロ、しろ)の同音異訳であって、邑・ムラ(: 마을; マウ)などから来たものである[1]

新羅: 신라; シラ)」は、徐伐서벌; ソボ、じょばつ)・斯盧사로; サロ、しろ)などから変わってきたもので、22代智証王の時に正式国号として採用された[1][2]。また、新羅の首都の名称として、大韓民国慶尚北道慶州市の古称[1]あるいは雅称としても用いられる。

研究編集

申采浩は『朝鮮上古史』で、

徐羅伐は辰韓六部新羅六部)の総称でなく、六部の中の一つである沙梁部である。新羅(신라; シラ)や沙梁(사량; サリャン)は全て「새라; セラ」と読むべきものであり、「セラ」は川水の名なので、「セラ」の上にあることから「セラ」と称したものであり、沙梁(사량; サリャン)は「沙喙(사훼; サフェ)」(真興王碑文に見える)とも記録し、「サフェ」は「새불; セブ」なので、同じく「セラ」の上にある「; プ」(들판; トゥパン:野原)であるために称した名である。『三国史記』新羅本紀に、新羅が初めて「徐羅伐(서라벌; ソラボ)」としたが、「ソラボ서라벌)」は「새라불; セラプ」と読むべきものなので、同じく「セラ」の「プ(原)」という意味である。高墟村は即ち沙梁部なので、蘇伐公の「蘇伐(소벌; ソボ)」は、同様に「사훼; サフェ」と同じく「セブ」とも読むべきものであって、地名であり、公は尊称であるので、セブの自治会の会長であることから、「セブ公」と言ったのである。言うなれば、蘇伐公は即ち高墟村長だという意味であるのに、まるで人の名前のように書くのは、歴史家が間違って記録したものである。セラ部長蘇伐公の養子である朴赫居世居西干が六部の総王となったことから、国の名を「セラ」とし、吏読字で「新羅」と書いたのである。

との説を展開した。

井上秀雄は『三国史記』の邦訳(平凡社東洋文庫〉、1980年 p.31)で、『三国遺事』では、徐羅伐への分注として新羅語による「王京みやこ)」のであるとする、すなわち「ソウル」の語源であるとの記述[3]ソウル特別市#概説も参照)を紹介しつつ、徐那伐の「徐」を「」と訓み「高」・「上」の意と解釈し、「那」を「国」の古語とする説と、「수풀」と訓んで「聖林」の意味とする説、「伐」は「」と訓んで「村落」の意味とする説を紹介している。

徐羅伐の名を冠する事物編集

学校
その他
  • 徐羅伐大路
  • 徐羅伐文化会館 ‐ 慶州市にある文化会館。
  • 徐羅伐新聞 - 慶州市で発行されている週刊新聞。
  • ソラボルレコード - 2004年までLPレコードを製作・販売していた会社。韓国で最後まで残ったLP製作会社だった。

脚注編集

出典編集

  1. ^ a b c d e f 李弘稙」『增補 새國史事典 (ENCYCLOPEDIA OF KOREAN HISTORY [증보] 새 국사사전)敎學社ソウル、1996年(原著1983年)、増補1版12刷、617頁(朝鮮語)。ISBN 8909005068
  2. ^   金富軾. 『三國史記』 卷第四 「新羅本紀第四」 智證麻立干 四年 條. - ウィキソース. "冬十月 羣臣上言。始祖創業已來,國名未定。或稱斯羅,或稱斯盧,或言新羅。臣等以爲,新者德業日新,羅者網羅四方之義,則其爲國號宜矣。又觀自古有國家者,皆稱帝稱王。自我始祖立國,至今二十二世,但稱方言,未正尊號。今羣臣一意,謹上號新羅國王。王從之。“冬十月 群臣 言を上(たてまつ)る。始祖の創業已来、国名未だ定まらず。或ひは斯羅と称し、或ひは斯盧と称し、或ひは新羅と言ふ。臣等 以為(おも)へらく、新は徳業の日〻新たなる、羅は四方を網羅するの義、則ち其れ国号と為すこと宜しかるべし。又た古(いにしへ)より国家を有する者を観るに、皆 帝を称し王を称す。我が始祖 国を立つるより、今に至ること二十二世、但だ方言を称するのみにて、未だ尊号を正しうせず。今 群臣 一意にて、謹んで号を新羅国王と上る。王 之に従う。”
    「冬10月 群臣が奏上した。始祖が国を創業して以来、国名がいまだ定まっていません。あるときは斯羅と称し、あるときは斯盧と称し、あるときは新羅と言う。私どもが思うに、新というのは徳業が日々新たであるということであり、羅というのは四方を網羅するという意味ですから、それこそ国号とするのにふさわしいものです。また昔から国家を持つものは、みな帝や王と称しております。我らが始祖が国を建ててから今まで22世ですが、方言[* 3]で称するだけで、正式な尊号をいまだ称えていません。いま群臣一同、意見を一致させ、謹んで新羅国王の称号を奉ります。王はこれに従った。」"
     
  3. ^   一然. 『三國遺事』 卷第一 新羅始祖赫居世王 條. - ウィキソース. "國號徐羅伐。又徐伐〈今俗訓京字云徐伐。以此故也〉或云斯羅。又斯盧。“国号は徐羅伐、又は徐伐〈今 俗に京字を訓みて徐伐と云ふは、以て此の故なり〉、或は斯羅、又は斯盧と云ふ。”
    「国号は徐羅伐、または徐伐〈いま俗語[* 4]で「京」の文字を「徐伐(ソボ)」と訓む[* 5]のはこのためである〉、あるいは斯羅、または斯盧という。」"
     

注釈編集

  1. ^ 三国遺事[1]
  2. ^ 三国史記[1]
  3. ^ 中華の言葉ではない周辺国の言葉。
  4. ^ 中華の言葉ではない自国の世俗の言葉。
  5. ^ 実際、ハングルによる表記法が確立された以降(中期朝鮮語)の文献では「):みやこ」を意味する語として、「셔ᄫᅳᆯ」という語が見られるが、その音声は*/sjəβɯl/と推定されており、*/β/[b]の弱化(衰退)・脱落の過程にあると考えられ(唇音退化)、やがて*/w/(厳密には[β̞]かもしれない)となり、*/sjəwɯl/となったところで、その*/w/[β̞])が*/ɯ/と融合して*/sjəul/となり(直前の唇音の影響による円唇化)、更にその*/u/の円唇性により*/sjəul/の*/j/が脱落(非口蓋化)し、その母音*/ə/も、/ɔ/[ʌ])への変化を経て、現代語の서울/sɔul/[sʌul])となったと推定される。参考:李崇寧(ko:이숭녕)『中世韓国語文法 —15世紀語を主として—松原孝俊監修、石橋道秀訳、花書院〈比較社会文化叢書II〉、福岡市、2006年(原著1981年)、9-12頁。ISBN 4938910861。「【15】また、‘’音の変化状態から、副詞のみを除きほぼ次の公式が成り立つ。〔中略〕(5) ᄫᅳ>우: 例: 셔ᄫᅳᆯ(京)>셔울  더ᄫᅳᆫ(暑)>더운  입시ᄫᅳᆯ(唇)>입시울