徳寿宮

韓国にある李氏朝鮮の宮殿

座標: 北緯37度33分57.00秒 東経126度58分30.00秒 / 北緯37.5658333度 東経126.9750000度 / 37.5658333; 126.9750000

徳寿宮(とくじゅきゅう、: 덕수궁、トクスグン)は大韓民国ソウル特別市にある李氏朝鮮の宮殿。

徳寿宮
徳寿宮 地図
各種表記
ハングル 덕수궁
漢字 德壽宮
発音 トクスグン
日本語読み: とくじゅきゅう
ローマ字 Deoksugung
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概要 編集

徳寿宮は本来、第9代国王・成宗の実兄の月山大君の邸宅として造営された。しかしその後、豊臣秀吉による文禄の役で義州に避難していた宣祖は、1593年にこの邸宅を、戦火で荒廃した景福宮のかわりの臨時の王宮とした。そのときは貞陵洞行宮と呼ばれた。さらに光海君が居住。そのときには「慶運宮(キョンウングン)」と命名された。

しかし、光海君が昌徳宮(チャンドクグン)に移ると顧みられることなく廃墟となった。

1897年高宗が慶運宮を改修し、1896年閔妃が暗殺され、高宗がロシア公館に避難する事件が起きてからは、慶運宮に高宗は居住した。以後高宗が退位する1907年まで日韓保護条約の締結など大韓帝国の歴史の舞台となった。高宗の次の皇帝純宗は長寿を祈願して「慶運宮」を「徳寿宮」と改名した。1909年には西洋風の宮殿である石造殿が建築された。退位した高宗はその後徳寿宮に住み続けており、韓国併合後も李王家の財産として扱われた。高宗が李太王となって以降は「徳寿宮李太王(とくじゅきゅうりたいおう)」の称号を帯びた。高宗の没後には博物館等が設置された。

遺構 編集

 
大漢門
 
1910年代の大漢門
 
中和殿
 
石造殿とイギリス式庭園
  • 大漢門 - 旧名「大安門」現在のものは1907年完成。20世紀以降は正門として扱われている。王宮守門将交代式(衛兵交代式)が見られる。
  • 仁化門 - かつては正門であったが、20世紀以降は交通の便が良い大漢門が正門として扱われている。
  • 中和門
  • 中和殿
  • 昔御堂
  • 徳弘殿
  • 咸寧殿
  • 静観軒
  • 即祚堂
  • 浚明堂
  • 英国式庭園
  • 仰俯日 - 日時計である。
  • 石造殿 - 1909年竣工。1911年から1922年は李王世子李垠の宿舎となった。1933年以降は徳寿宮美術館として利用された。第二次世界大戦後にはアメリカ軍に接収され、石造殿は朝鮮半島の占領統治を協議する米ソ共同委員会朝鮮語版の会場となった。1955年から2004年には国立博物館・宮中遺物展示館として利用され、2009年からはじまった大規模修理を経て2014年以降は大韓帝国博物館として利用されている[1]
  • 石造殿別館 - 1937年竣工。昌慶宮にあった李王家博物館が移されている。
  • 光明門
  • 布徳門 - 旧名「平成門」。本来の布徳門はソウル市庁の近くにあったが失われた。布徳門の扁額を平成門に掛け今に至る。

周辺にある遺構 編集

  • 重明殿 - 日韓保護条約を締結した建物。その後敷地が分断縮小されたため、現在は徳寿宮から離れた場所となった。

衛兵交代式 編集

大漢門では衛兵交代式を見学できる。事前予約は不要である。

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集