戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議

戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議(せんそうはんざいによるじゅけいしゃのしゃめんにかんするけつぎ)とは、衆議院海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会委員長山下春江が議案提案し、自由党改進党右派社会党左派社会党無所属倶楽部の共同提案のかたちで1953年(昭和28年)8月3日に衆議院本会議に上程され、旧社会党共産党を含む全会一致で可決された決議である。

経過 編集

  • 昭和28年5月29日 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会
  • 昭和28年6月17日 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会
  • 昭和28年6月22日 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会
  • 昭和28年6月23日 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会
  • 昭和28年6月24日 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会
  • 昭和28年7月3日 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会
  • 昭和28年7月10日 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会
  • 昭和28年7月13日 内閣・厚生・海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会連合審査会
  • 昭和28年7月14日 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会
  • 昭和28年7月14日 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会連合審査会公聴会
  • 昭和28年7月20日 厚生・海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会連合審査会
  • 昭和28年7月28日 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会
  • 昭和28年8月3日 衆議院本会議

決議文 編集

  戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議
 八月十五日九度目の終戦記念日を迎えんとする今日、しかも独立後すでに十五箇月を経過したが、国民の悲願である戦争犯罪による受刑者の全面赦免を見るに至らないことは、もはや国民の感情に堪えがたいものがあり、国際友好の上より誠に遺憾とするところである。しかしながら、講和条約発効以来戦犯処理の推移を顧みるに、中国は昨年八月日華条約発効と同時に全員赦免を断行し、フランスは本年六月初め大減刑を実行してほとんど全員を釈放し、次いで今回フイリピン共和国はキリノ大統領の英断によつて、去る二十二日朝横浜ふ頭に全員を迎え得たことは、同慶の至りである。且又、来る八月八日には濠州マヌス島より百六十五名全部を迎えることは衷心欣快に堪えないと同時に、濠州政府に対して深甚の謝意を表するものである。
 かくて戦争問題解決の途上に横たわつていた最大の障害が完全に取り除かれ、事態は、最終段階に突入したものと認められる秋に際会したので、この機会を逸することなく、この際有効適切な処置が講じられなければ、受刑者の心境は憂慮すべき事態に立ち至るやも計りがたきを憂えるものである。われわれは、この際関係各国に対して、わが国の完全独立のためにも、将又世界平和、国家親交のためにも、すみやかに問題の全面的解決を計るべきことを喫緊の要事と確信するものである。
 よつて政府は、全面赦免の実施を促進するため、強力にして適切且つ急速な措置を要望する。
 右決議する。

背景 編集

1952年4月に占領が終わり、日本は主権を回復する。この後、極東国際軍事裁判により「戦犯」とされた人たちの早期釈放を求める国民運動が起きた。この運動に連動して、「戦犯の赦免勧告に関する意見書」が日本弁護士連合会の手によって政府に提出されたことなどを契機とし、日本国内において4千万人にものぼる署名が集まることとなった。こうした世論の高まりを受けた政府は、サンフランシスコ講和条約第11条に基づき、10月までに全戦犯の赦免・減刑勧告を旧連合国に対し行った。

戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案 編集

1952年(昭和27年)12月9日においても、田子一民らの提案により「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案」が衆議院で決議されている。

このとき衆議院で行われた討論では、登壇した議員らが賛成演説を行ったが、労働者農民党館俊三のみ、本案は「サンフランシスコの単独講和の既成事実化を推し進め、これを合理化」するためのものであるとして、いまなお獄窓にある人々には真にお気の毒ではあるとしながらも強く反対するとした。

関連項目 編集

外部リンク 編集

第016回国会 本会議 第35号”. 国会会議録検索システム (1953年8月3日). 2017年5月29日閲覧。

第015回国会 本会議 第11号”. 国会会議録検索システム (1952年12月9日). 2017年4月13日閲覧。