打穴村
日本の岡山県久米郡にあった村
打穴村(うたのそん)は、岡山県久米郡にあった村。現在の久米郡美咲町打穴上、打穴北、打穴里、打穴西に当たる。
うたのそん 打穴村 | |
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廃止日 | 1955年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 久米郡加美町、打穴村、大垪和村、三保村→中央町 |
現在の自治体 | 美咲町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 久米郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 久米郡加美町、久米南町、大垪和村、倭文村、三保村 |
打穴村役場 | |
所在地 |
岡山県久米郡打穴村 |
座標 | 北緯34度59分14秒 東経133度55分39秒 / 北緯34.98722度 東経133.92739度座標: 北緯34度59分14秒 東経133度55分39秒 / 北緯34.98722度 東経133.92739度 |
ウィキプロジェクト |
沿革
編集地名の読み方
編集- 打穴上(うたのかみ)
- 打穴北(うたのきた)
- 打穴里(うたのさと)
- 打穴西(うたのにし)
- 上打穴北(かみうたのきた)
- 上打穴里(かみうたのさと)
交通
編集村内を走る鉄道およびその駅はなく、また村内を走る高速道路や国道はない。
- 主要地方道
河川
編集- 打穴川
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集- 二上温泉
神社
編集- 磐柄神社
- 興津神社
- 榊葉神社
- 白山神社
- 宮代神社
その他
編集中央町誕生に伴い、大字上打穴北は打穴北、大字上打穴里は打穴里となった。
現在の美咲町の打穴下、打穴中は本来、下打穴下、下打穴中であるが、これらも中央町誕生によって変わった地名である。そのため、打穴西の南に打穴北があるなど、地名から考えられる位置関係が一部不自然になっている。
打穴のつく地名の内、打穴西と打穴上のみそのままである。
浜田藩の飛び地であったため、幕末に藩主の松平武聰らが長州藩の攻撃より逃れた際、藩士やその家族が打穴村に身を寄せ定住した[1]。
脚注
編集- ^ 本田増次郎自叙伝「ある日本人コスモポリタンの物語」長谷川勝政、本田増次郎Web記念館
参考文献
編集- 和泉橋警察署 『新旧対照市町村一覧』第2冊(東京:加藤孫次郎, 1889(明22))
- 地名編纂委員会 『角川日本地名大辞典33 岡山県』(角川学芸出版, 1989, ISBN 4040013301)