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押使(おうし/すべつかい)は、使者の身分序列が高い場合、大使の上に置かれ、全体を統轄する官職。「押」は「惣(す)べる」という意味。

目次

概要編集

日本書紀』巻第二十五には、孝徳天皇白雉5年2月に、

大唐(もろこしに遣(つかは)す押使(すべつかひ)大綿上(だいきむじゃう)高向史玄理(たかむく の ふびと ぐゑんり)

とある。玄理は過去に推古天皇16年(608年)に遣隋使留学生として大陸に渡っており[1]大化2年(646年)には新羅に派遣され、任那の調の停止と新羅からの人質の交渉に成功しており[2] 、それらの実績を評価されたのであろう。この時の遣唐大使は河辺麻呂で、玄理は唐に滞在中に亡くなっている[3]

続日本紀』巻第七、元正天皇霊亀2年8月(716年)には、

是の日、従四位下多治比真人県守(たぢひ の まひと あがたもり)を遣唐押使(けんたうあふし)とす

という例もある。県守は八色の姓最高位の真人を持ち、宣化天皇の血を引いている。なお、この時の遣唐副使は藤原宇合である[4]

新唐書』巻第二百十九「北狄列伝」契丹には、「押蕃落使」・「押奚契丹使」などが見られる。

脚注編集

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  1. ^ 『日本書紀』推古天皇16年9月11日条
  2. ^ 『日本書紀』孝徳天皇 大化2年9月条
  3. ^ 『日本書紀』孝徳天皇 白雉5年2月条
  4. ^ 『続日本紀』元正天皇 霊亀2年8月20日条

参考文献編集

  • 『日本書紀』(3)新編日本古典文学全集4、小学館、1994年
  • 『日本書紀』(四)、岩波文庫、1994年
  • 『日本書紀』全現代語訳(下)、講談社学術文庫宇治谷孟:訳、1988年
  • 『続日本紀』2 新日本古典文学大系14 岩波書店、1990年
  • 『続日本紀』全現代語訳(上)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1992年
  • 『コンサイス日本人名辞典 改訂新版』p742、p746 - p747(三省堂、1993年)

関連項目編集