日本宣伝美術会
日本宣伝美術会(にほんせんでんびじゅつかい、Japan Advertising Artists Club、1951年 結成 - 1970年 解散)は、かつて存在した日本の美術団体である。略称はJAAC(ジェイ・エイ・エイ・シー)、通称は日宣美(にっせんび)である[1]。
略歴・概要
編集第二次世界大戦前の1938年(昭和13年)に結成された「広告作家懇話会」のメンバーが、戦後の1950年(昭和25年)12月、デザイナーの職能団体「東京広告作家クラブ」を設立した[1]。
翌1951年(昭和26年)、同クラブのメンバーによって創立準備会が結成され、同年6月に創立総会が開かれた。山名文夫を初代委員長に、原弘、新井静一郎、亀倉雄策、河野鷹思ら約50名でスタートした。以後、全国の主要都市で毎年展覧会を開催し、2年後の1953年(昭和28年)からは作品公募を始め、新人の登竜門として機能した[1]。
グラフィックデザイナーにとって、戦後最初の全国的職能団体として設立されたが、1960年(昭和35年)には「停滞」と言われ、またそれと平行して権威を増してしまう。1960年代末には、美術系の学生たちが繰り広げた「革命的デザイナー同盟」、「美共闘」などの批判の的となる。武蔵野美術大学の学生・戸井十月らの「日宣美粉砕共闘」が1969年(昭和44年)8月、第19回日宣美展覧会の審査会に乱入し、展覧会の中止を余儀なくされる。翌1970年(昭和45年)、解散宣言とともに、東京・名古屋・大阪の三都市で「解散展」を開催した[1]。