日本産業貯蓄銀行
株式会社日本産業貯蓄銀行(にほんさんぎょうちょちくぎんこう)は、かつて大阪府大阪市東区[注 1]今橋2丁目に存在した貯蓄銀行。
概要
編集株式会社日本産業貯蓄銀行は1916年(大正5年)2月、日本産業合資会社の業務を継承し、当時施行の改正貯蓄銀行条例によって設立した[1]。取締役・荒木善定、五百井菊次郎等は、庶民金融機関として発展させようと努めたが、資本金は僅かに5万円の微力なので到底一般の信用を博するに由なく損失が相継いで業務は振るわず、1923年(大正12年)、門脇孝一が入社して専務取締役となり、資本金を100万円に増加し、10年県建設計画を立て鳥取、島根2県下に多くの支店、出張所、取扱店等を置き預金利息の高率、外交員の宣伝勧誘等によって預金を吸収し、遂に預金者7万人、預金700万円を計上する[1]。
日本産業貯蓄銀行専務門脇孝一、その妹婿で同行監査役兼山陰銀行専務森啓蔵らにかかる産貯行金横領、背任事件が発生[注 2]。資産の運用その宜しきを得ず、貸出しは甚だ放漫に流れたため融通閉塞して預金の払戻を渋滞するに至った[1]。
1933年(昭和8年)7月、大蔵省は産貯銀行に対し業務停止命令を発した[1][4]。同年9月、大阪区裁判所において破産を宣告された[1]。
役員
編集『日本全国諸会社役員録 第25回』
編集『日本全国諸会社役員録 第35回』
編集『日本全国諸会社役員録 第38回』
編集『日本全国諸会社役員録 第41回』
編集支店・出張所
編集- 支店
- 出張所
大株主氏名及持株数
編集『銀行会社要録 附・役員録 第31版』
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e 『大阪弁護士史稿 下』1088 - 1090頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月3日閲覧。
- ^ 預金者をふみ躪る呆れた無軌道貸付 一人で背任横領百六十万円“産貯”関係被告の予審終結大阪朝日新聞(1936年6月16日)、神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 貯蓄銀行(2-063)。2021年7月16日閲覧。
- ^ 『銀行犯罪史』209頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月3日閲覧。
- ^ 『官報 1933年7月18日』官報 第1963号 464頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月16日閲覧。
- ^ 歴史(新井株式会社)
- ^ a b c 『日本全国諸会社役員録 第25回』上編422頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月16日閲覧。
- ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 第35回』上編316頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月16日閲覧。
- ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 第38回』上編364頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『日本全国諸会社役員録 第41回』上編395頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月16日閲覧。
- ^ a b c d e 『銀行会社要録 附・役員録 第31版』大阪府2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月25日閲覧。
参考文献
編集- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第25回』商業興信所、1917年。
- 東京興信所編『銀行会社要録 附・役員録 第31版』東京興信所、1927年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第35回』商業興信所、1927年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第38回』商業興信所、1930年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第41回』商業興信所、1933年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1933年7月18日』日本マイクロ写真、1933年。
- 銀行問題研究会編『銀行犯罪史』銀行問題研究会、1936年。
- 大阪弁護士会編『大阪弁護士史稿 下』大阪弁護士会、1937年。