日根野高継
日根野 高継(ひねの たかつぐ)は江戸時代の旗本。日根野高吉の次男、母は戸田忠成の女。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 寛永3年(1626年) |
戒名 | 逸閑 |
墓所 | 勝林寺(東京都豊島区) |
官位 | 左京亮 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康 → 徳川秀忠 → 徳川家光 |
氏族 | 日根野氏 |
父母 | 父:日根野高吉、母:戸田忠成女 |
兄弟 | 吉明、高継、高当、女(柴田勝政室)、盛寿院(伊木忠次継室) |
子 | 高次、高真、女(藤堂嘉利室) |
慶長7年(1602年)より徳川家康に仕える。美濃国安八郡・石津郡・多芸郡・方県郡・大野郡・山県郡・厚見郡の7郡内において采地7000石を賜う。後に小姓となり、大坂の陣に従軍する。元和3年(1617年)5月26日、采地の朱印を受ける。寛永3年(1626年)死去。法名は逸閑。駒込の勝林寺に葬られる[1]。