早川家住宅(はやかわけじゅうたく)は、岐阜県海津市平田町三郷にある豪農邸宅明治時代に建てられた主屋、飯米庫、洋館、裏座敷、下男部屋、西ノ庫、辰巳隅職人部屋ならびに辰巳庫が国の重要文化財に指定されている。

早川家住宅
所在地 岐阜県海津市平田町三郷1088-1
位置 北緯35度15分38.1秒 東経136度38分38.5秒 / 北緯35.260583度 東経136.644028度 / 35.260583; 136.644028座標: 北緯35度15分38.1秒 東経136度38分38.5秒 / 北緯35.260583度 東経136.644028度 / 35.260583; 136.644028
類型 農家
形式・構造 木造、数寄屋造、銅板葺、一部2階建
延床面積 477.55m2(主屋)
建築年 1892年明治37年)
文化財 国の重要文化財2019年9月30日指定)
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歴史 編集

早川家は室町時代から続く豪農であるが、1891年明治24年)10月28日に発生した濃尾地震によりその邸宅は大きな被害を受けた。濃尾地震に遭った翌年から再建に着手し、1904年(明治37年)に竣工した。

当時の早川家当主は17代早川周造で南濃銀行(十六銀行の前身のひとつ)頭取を務め、多額納税者として貴族院議員に選出された当地方屈指の財界人にして表千家や武者小路千家の茶匠との交流がある数寄者として鳴らした文化人であり、住宅の再建に当たってはその意向が反映されている。更に再建された住宅は水害常襲地域である輪中地方にあるため水害対策が行われ、嵩上げが行われた他、濃尾地震の経験から筋交いや火打梁を施し、松杭を地盤に食い込ませた上、丸太を十字に組んだ地震梁という独自の耐震工法を用いている。

2022年令和4年)より、毎月1日と15日に入場者を限って一般公開されている。

建築 編集

主屋は南側に玄関を配し、庭を除いて3×5室の構成となっている。10畳の玄関の北に12畳の板の間、その北に8畳の板の間を配し、玄関東が畳張りのミセ、その北側が6畳間があり東端は南からニワ、ナカイリニワ、カッテニワがある。玄関西から8畳の次の間、16畳の広間、5畳のほどの鞘の間があり、次の間の北は6畳間、7畳間がある。広間北は3畳の仏間、10畳半の座敷を配し、鞘の間北に茶室の和敬室、水屋が並ぶ。離れは廊下で主屋と繋がれ、4畳の鞘の間、8畳の嵯峨廼舎および5畳2台目の御室からなる。

参考文献 編集

  • 水野貴子『近代和風建築早川家住宅に関する研究』 名古屋工業大学〈博士(工学) 甲第1216号〉、2021年。doi:10.20602/00006688NAID 500001462447https://doi.org/10.20602/00006688 

外部リンク 編集