曲尾マイケ
曲尾 マイケ(まがりお マイケ、1991年11月18日 - )は、ブラジルのサンパウロ出身、日本の神奈川県高座郡寒川町育ちの元プロ野球選手(外野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。ブラジル生まれの日系人である。
2009年12月9日 | |
基本情報 | |
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国籍 | ブラジル |
出身地 | サンパウロ州サンパウロ |
生年月日 | 1991年11月18日(32歳) |
身長 体重 |
188 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2009年 育成選手ドラフト1位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | ブラジル |
WBC | 2013年 |
この表について
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来歴・人物
編集プロ入り前
編集ブラジルのサルバドール、バイーアに生まれる[1]。5歳のとき日本に訪れ、神奈川県寒川町に居住する[2][3]。小学校3年のときに一之宮ストロングスで野球をはじめる[3]。寒川中学校時代は、寒川シニアに所属していた[2]。3年時の秋に甲子園出場を目指して青森山田中学校に転入した[1]。
中学時代は投手として最速138km/hを記録していたが、青森山田高では肩痛のため野手に専念した[4]。1年秋からベンチ入りし、2年時からレギュラーをつとめ、2008年・2009年の夏の甲子園連続出場に貢献している[3]。
高校通算17本塁打、50メートル6秒0の俊足と遠投110メートルの強肩が評価され、2009年のドラフトで東京ヤクルトスワローズから育成ドラフト1位指名を受けた[3]。担当の八重樫幸雄スカウトにとっては、スカウト活動1年目で初めての指名選手で、「ブンブン丸2世」の期待をかけられていた[3]。同年12月9日の入団会見では、対戦したい投手として「ダルビッシュ有」の名をあげていた[5]。同日支度金300万円、年俸300万円で契約し入団した[6]。
プロ入り後
編集2010年、1月7日に戸田寮に入寮し、同じブラジル出身の松元ユウイチとの対面を果たした[7]。
2012年10月3日、戦力外通告を受け[8]、10月31日に自由契約公示された。戦力外通告の同月には、第3回WBCのブラジル代表に選出された[9]。
2016年、軟式野球の強豪、神奈川の日立オートモティブシステムズ厚木事業所の一員として、国民体育大会全国大会優勝に貢献した[10]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集- 一軍公式戦出場なし
背番号
編集- 117 (2010年 - 2012年)
脚注
編集- ^ a b “「居場所」見つけ活躍 青森山田・曲尾マイケ選手”. asahi.com. 朝日新聞社 (2008年8月6日). 2010年1月24日閲覧。
- ^ a b “青森山田・曲尾「誰にも負けない」…ヤクルト・育成1位”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2009年10月30日). オリジナルの2009年11月2日時点におけるアーカイブ。 2009年10月30日閲覧。
- ^ a b c d e “燕の育成1位、曲尾マイケ“池山2世”目指す”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2009年11月3日). オリジナルの2009年11月6日時点におけるアーカイブ。 2009年11月3日閲覧。
- ^ “青森山田・曲尾マイケ大爆発/高校野球”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2008年4月27日) 2010年1月24日閲覧。
- ^ “ヤクルト入団会見で曲尾「常に全力で」”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2009年12月10日) 2009年12月10日閲覧。
- ^ “ヤクルト育成1位契約…覚えてください曲尾マイケ”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2009年12月9日). オリジナルの2009年12月13日時点におけるアーカイブ。 2010年1月24日閲覧。
- ^ “平井投手、曲尾選手が入寮!”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト. 2010年1月24日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “来季の契約について”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2012年10月3日). 2012年10月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月3日閲覧。
- ^ World Baseball Classic: Team
- ^ “元ヤクルト育成の曲尾マイケ 逆転3ラン!日立AMS厚木事業所”. スポーツニッポン (2015年9月13日). 2021年4月21日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、MLB