育成選手制度 (日本プロ野球)

育成選手制度(いくせいせんしゅせいど)とは、日本のプロ野球日本野球機構、NPB)において育成を目的として球団の選手契約枠を拡大する制度。

目次

概説編集

NPBでは1965年ドラフト制度が導入されてから支配下登録選手枠の上限が最大60人までとなっており、それを越えてしまうと、以前は練習生(公式戦の出場はできないが、チームの練習には参加可能)という扱いとなっていたが、その制度を利用して球団が有望な学生を他球団のスカウトからの接触を絶つ目的で球団職員名義の練習生としてユニフォームを着て球団の施設で練習をさせて囲い込む例(伊東勤大豊泰昭中込伸の例)が出たため1992年以後は練習生契約は禁止され、支配下登録選手枠の上限も70人に拡大された。しかし、アマ野球、特に社会人野球での廃部が相次ぎ野球選手の裾野の狭まりへの対策と将来の有望な若手選手らを育成する観点から、2005年に「準支配下登録選手」の制度設置を審議。11月に開かれた実行委員会の席で正式に導入されることが決まった。本制度の決定には広島東洋カープの常務取締役球団本部長の鈴木清明の方針をヒントに読売ジャイアンツの代表の清武英利の強い推進があった。

なお、このとき一部の球団より「選手枠の上限を撤廃すべき」という主張もあったがルール改正には至らなかった。

制度には「育成選手」と「研修生」の2つのカテゴリーがある。いずれも中学(卒業3年間)、高校、大学の翌年度卒業見込みのある者(2005年度のみ事前の折衝が間に合わず高校生は対象外)、並びに社会人野球(日本野球連盟登録チームに在籍する)選手、NPB以外の国内プロ野球〔四国アイランドリーグplusなどの独立リーグ〕に在籍している選手含む。但し、企業所属チームの選手は「技術向上と社会教育」という育成制度の理念から外れるとして育成指名はできない、プロ野球の選手として一度入団しながら自由契約になった選手が対象となる。外国人選手に関しては特に規定はない。育成選手、研修生とともに、将来は、アメリカメジャーリーグの要領でのアカデミー形式によるリーグ戦の実施、あるいは社会人チーム登録をして社会人野球の大会出場なども検討されている。代表例が2007年に開始されたイースタン・リーグ チャレンジ・マッチや、2009年に編成された読売ジャイアンツ千葉ロッテマリーンズの2球団に所属する育成選手から成る連合チーム「シリウス」における活動である。

しかし、2007年中日ドラゴンズが上限一杯となった支配下登録選手枠を空けるため金本明博ウェイバー公示にかけた上で育成選手として再契約を行おうとしたことに日本プロ野球選手会が抗議するなど、制度が定着するに従って一部で論議が発生している。この騒動を受けて、シーズン中の支配下選手から育成選手への契約切り替えは禁止されることになった。ただし、若手選手の育成という観点からは外れた使われ方をしている事例も発生している[1]。育成選手の最高齢は2011年にソフトバンクの育成選手であった藤田宗一の39歳である。育成選手最長記録は2017年シーズン時点で伊藤大智郎(ソフトバンク)と成瀬功亮(巨人)の7年目である。

育成選手編集

  • 育成選手とは日本選手権へ出場可能な支配下登録を目指すため、野球技能の錬成向上およびマナー養成を目的とした選手の事を言う。
  • 支配下登録選手(原則上限70人。ただし球団の合併や解散などがあった場合は上限80人)が65人以上いるチームが獲得できる。ただし7月31日時点で支配下選手数が65名に満たない球団は、育成選手を支配下選手に移行するか、新たな支配下選手の獲得を実行委員会に報告し、支配下選手を65名以上にすることで実行委員会が目的に害さないと判断し承認した時には保有することができる。
  • 新人選手を育成選手として指名するには2次ドラフト(育成ドラフトともいう。基本的に、大学生・社会人ドラフト会議の開催日に通常のドラフトに引き継いで行うドラフト。ただし2005年度は準備に時間がかかったため12月に開かれた)にかけることが必要である。順位はドラフトの指名順で行われる。これは全指名120名枠に含めることとする(研修生を指名する場合を除く)。
  • ただし新人選手に該当しない選手(支配下経験がある人)、或いは外国人選手に関してはこの限りではない。
  • 期間は3年とする(7月1日以降育成選手を採用した場合はそのシーズン(7月1日-12月31日まで)はカウントしない)。
    • これに付随して当初は3年間同一チームと育成選手として契約した選手が、その球団から翌年度に支配下選手として契約を締結されない場合は(10月31日までに本人に通告・開示)その年の11月30日に自動的に自由契約選手となり、育成選手としては再度契約できないという条件があったが、2008年11月の日本プロ野球組織(NPB)と労組・日本プロ野球選手会の事務折衝により支配下選手として契約を締結されない開示を受けた年の11月1日から4年目以降(1シーズンごと)は育成選手として再度旧所属球団または他球団との契約が可能となった。ただしドラフトでの再指名はできない。
      • ソフトバンクに育成選手として指名され3年が経過して自由契約となる予定だった亀澤恭平は、2014年オフに4年目も育成選手として再契約することで球団と同意していたが、中日からの支配下登録を視野に入れたオファーを受け移籍を自身で決断した。
  • 育成選手としてドラフト指名されたが入団を拒否した場合でも、進学等によりドラフト対象選手制限に抵触しない限り1年後は再度すべてのチームがドラフト指名できる。承認した場合は契約番号その他を育成選手名簿に登録し開示する。解雇されたときも同様である。
  • 最低年俸は240万円となっている。更新した場合も同様とする。また、新人選手には支度金として標準300万円が支払われる。原則として1年間の年俸を表しているが、学校卒業見込の者は3月1日からとする。
  • 背番号は3桁の数字とする。支配下登録選手に変更する場合、背番号を1桁(0を含む)または2桁(00を含む。01〜09は不可)に変更しなければならない。なお、2010年11月9日以前は「100番以降」という条件だったが、読売ジャイアンツが「チームスタッフの背番号と紛らわしい[2]」という理由で改正を提案、「0から始まる3桁(001、002など。000は未定[3])でも可」という条件に変更された。その他ほとんどのチームは100番台を使用しているが、中日のみは200番台を育成選手用に充てている。
  • 出場可能な公式戦(二軍の公式戦では球団統一ユニフォームを着用する)は二軍の試合に限られ1試合に5人までしか出場できない。当初はフレッシュオールスターファーム日本選手権は出場できないとされており、オープン戦に関しても、技術的なレベルの差などを考慮して、原則的に認められていなかった。現在では春季オープン戦、春季教育リーグ、秋季教育リーグ、チャレンジマッチ、フレッシュオールスターゲーム、ファーム日本選手権試合等に練習または試合が出来るようになった。
    • 2007年3月7日よりオープン戦の試合出場が認められ、2007年9月30日のプロ野球実行委員会にてファーム日本選手権への出場も認められるようになり、2009年に巨人の山本和作が出場した。また、2010年のソフトバンクの猪本健太郎はフレッシュオールスターに育成選手のまま出場した初めての例となった。
  • 球団は実行委員会の承認後、育成選手を独立リーグに所属する球団に一定期間派遣することができる(詳細は後述の「独立リーグへの派遣」を参照)。海外に派遣する場合は、コミッショナー事務局に届け出ること。
  • 育成選手だけのチームを結成し、日本野球連盟に加盟することができる(シリウスを参考)。
  • シーズン中の育成登録から支配下登録(70名を超える選手を支配下選手とすることはできない。支配下契約保留中の選手も含まれる)への昇格は7月末まで認められ、登録以降は一軍公式戦の出場も可能となる。ただし2008年シーズンより、育成契約初年度26歳以上の外国人選手については、昇格は3月末までしか認められない。
    • 2008年シーズンよりシーズン中の支配下選手から育成選手への契約の切り替えはシーズン中にはできない。ただし、シーズン終了後に自由契約となった支配下選手が旧所属球団または他球団と育成選手として再契約することは認められる。
  • 支配下選手登録されたことのある者が育成選手として契約した次年度に、支配下選手として契約されない場合は自由契約とする。
    • 4年目を迎える場合と同じく、所属球団と再契約することは認められている。選手の意思によっては移籍も可能で、前年オフに支配下登録から育成に切り替えられていたソフトバンクの白根尚貴は、2015年オフに育成での再契約を断ってDeNAへ支配下登録選手として移籍している。
  • 球団は、育成登録をしている選手を、7月31日まで他球団に移籍(移籍金10万円、支配下で移籍金30万円を他球団負担)し支配下選手・育成選手させることができる。残余期間はそのシーズンを引き継ぐ。

事例編集

育成選手の人数制限については「当面定めないものとする」となっている。そのため一部球団が多数の育成選手を囲い込むことが可能(コミッショナーの承認が必要)であり、ますます戦力の二極化が進むのではという意見もある。

これら育成選手の増加の傾向から、「三軍」を導入する傾向にある。公式に三軍と称しているのは巨人[4]広島[5]ソフトバンクの3チーム[6]。この他に阪神楽天も公式には「三軍」ではないものの、「第2の二軍」という位置づけの「育成・リハビリーチーム」を結成。「三軍」では社会人野球独立リーグ、更には3月と8月に限り解禁された大学野球との練習試合を多数こなすようになりつつある。

また、2008年からイースタン・リーグではこれら育成選手を主体に、試合の出場機会に恵まれぬ選手を主対象に連合チームが結成され、これまでにイースタン・リーグ チャレンジ・マッチにおける「フューチャーズ」と、社会人チーム・独立リーグチームとの練習試合を目的とした「シリウス」が結成された。このうちシリウスは2009年2010年の2年活動したが、上記の通り各チームが三軍による試合をこなすようになったこともあり2011年以後は事実上活動休止となっている。

現在の育成選手編集

球団設立順。太字は支配下登録経験者。

過去の育成選手は日本プロ野球の育成選手一覧を参照。

読売ジャイアンツ編集

背番号 名前 守備位置 入団経緯
002 加藤脩平 外野手 2016年育成ドラフト2位
003 山川和大 投手 2016年育成ドラフト3位
004 川相拓也 内野手 2014年育成ドラフト2位
006 坂本工宜 投手 2016年育成ドラフト4位
007 高橋洸 外野手 2013年自由契約→再契約
009 松原聖弥 外野手 2016年育成ドラフト5位
010 高山竜太朗 捕手 2016年育成ドラフト6位
011 高井俊 投手 2016年育成ドラフト1位
012 成瀬功亮 投手 2010年育成ドラフト6位
013 堀岡隼人 投手 2016年育成ドラフト7位
014 松澤裕介 外野手 2016年育成ドラフト8位
016 土田瑞起 投手 2016年自由契約→再契約
018 田島洸成 内野手 2015年育成ドラフト4位
019 大竹秀義 投手 2015年育成ドラフト5位
020 橋本篤郎 投手 2015年育成ドラフト6位
021 矢島陽平 投手 2015年育成ドラフト7位
022 マヌエル・ソリマン 投手 2016年新外国人
023 坂口真規 内野手 2015年自由契約→再契約
024 田中大輝 投手 2015年自由契約→再契約
025 サムエル・アダメス 投手 2016年新外国人
026 クリストファー・クリソストモ・メルセデス 投手 2017年新外国人
027 ホルヘ・マルティネス 内野手 2017年新外国人
028 高木京介 投手 2016年失格処分→球界復帰

阪神タイガース編集

なし

中日ドラゴンズ編集

背番号 名前 守備位置 入団経緯
201 木下雄介 投手 2016年育成選手ドラフト1位
202 浜田智博 投手 2016年自由契約→再契約
203 濱田達郎 投手 2016年自由契約→再契約
204 山本雅士 投手 2016年自由契約→再契約
205 吉田嵩 投手 2015年育成選手ドラフト2位
207 藤吉優 捕手 2014年育成選手ドラフト3位
208 西浜幹紘 投手 2015年育成選手ドラフト4位
210 レオナルド・ウルヘエス 外野手 2017年新外国人
211 ライデル・マルティネス 投手 2017年新外国人
212 渡辺勝 外野手 2015年育成選手ドラフト6位

オリックス・バファローズ編集

背番号 名前 守備位置 入団経緯
120 ダリル・ジョージ 内野手 2017年新外国人
121 赤松幸輔 捕手 2015年度育成ドラフト2位
122 張奕 外野手 2016年度育成ドラフト1位
123 角屋龍太 投手 2016年自由契約→再契約
124 榊原翼 投手 2016年度育成ドラフト2位
125 戸田亮 投手 2015年自由契約→再契約
126 神戸文也 投手 2016年度育成ドラフト3位
127 坂本一将 内野手 2016年度育成ドラフト4位
128 中道勝士 捕手 2016年度育成ドラフト5位

福岡ソフトバンクホークス編集

背番号 名前 守備位置 入団経緯
120 坂田将人 投手 2016年自由契約→再契約
121 吉本祥二 投手 2014年自由契約→再契約
122 川原弘之 投手 2015年自由契約→再契約
123 伊藤祐介 投手 2015年自由契約→再契約
124 幸山一大 外野手 2014年育成選手ドラフト1位
125 大本将吾 外野手 2016年育成選手ドラフト1位
126 齋藤誠哉 投手 2014年育成選手ドラフト2位
127 伊藤大智郎 投手 2010年育成選手ドラフト3位
128 山下亜文 投手 2014年育成選手ドラフト3位
129 野澤佑斗 投手 2015年育成選手ドラフト1位
130 児玉龍也 投手 2015年育成選手ドラフト2位
131 堀内汰門 捕手 2014年育成選手ドラフト4位
132 樋越優一 捕手 2015年育成選手ドラフト3位
133 柿木映二 投手 2014年育成選手ドラフト5位
134 長谷川宙輝 投手 2016年育成選手ドラフト2位
135 田城飛翔 外野手 2016年育成選手ドラフト3位
136 中村晨 投手 2015年育成選手ドラフト4位
137 渡辺健史 投手 2015年育成選手ドラフト5位
138 森山孔介 内野手 2016年育成選手ドラフト4位
139 東方伸友 投手 2013年育成選手ドラフト2位
141 清水陸哉 外野手 2016年育成選手ドラフト5位
142 松本龍憲 内野手 2016年育成選手ドラフト6位
144 オスカー・コラス 外野手 2017年新外国人

北海道日本ハムファイターズ編集

なし

千葉ロッテマリーンズ編集

背番号 名前 守備位置 入団経緯
121 安江嘉純 投手 2016年育成選手ドラフト1位
122 菅原祥太 外野手 2016年育成選手ドラフト2位

横浜DeNAベイスターズ編集

背番号 名前 守備位置 入団経緯
100 網谷圭将 捕手 2015年育成選手ドラフト1位
101 山本武白志 内野手 2015年育成選手ドラフト2位
102 亀井塔生 捕手 2014年育成選手ドラフト1位
103 田村丈 投手 2015年育成選手ドラフト3位
105 笠井崇正 投手 2016年育成選手ドラフト1位

埼玉西武ライオンズ 編集

なし

広島東洋カープ編集

背番号 名前 守備位置 入団経緯
121 松浦耕大 捕手 2014年育成選手ドラフト1位
123 木村聡司 内野手 2014年育成選手ドラフト2位

東京ヤクルトスワローズ編集

背番号 名前 守備位置 入団経緯
104 新田玄気 捕手 ブルペン捕手から現役復帰
117 田川賢吾 投手 2016年自由契約→再契約
118 古野正人 投手 2016年自由契約→再契約
120 大村孟 捕手 2016年育成選手ドラフト1位

東北楽天ゴールデンイーグルス編集

背番号 名前 守備位置 入団経緯
001 片山博視 投手 2015年自由契約→再契約
005 島井寛仁 外野手 2014年自由契約→再契約
046 伊東亮大 内野手 2016年自由契約→再契約
054 横山貴明 投手 2016年自由契約→再契約
063 北川倫太郎 外野手 2016年自由契約→再契約
126 出口匠 内野手 2015年育成ドラフト1位
127 山田大樹 内野手 2015年育成ドラフト2位
128 千葉耕太 投手 2016年育成ドラフト1位
129 南要輔 内野手 2016年育成ドラフト2位
130 向谷拓巳 内野手 2016年育成ドラフト3位
131 木村敏靖 投手 2016年育成ドラフト4位

研修生編集

  • 研修生としての契約はドラフト会議による指名を受けていない選手(プロ野球選手として野球の技術、能力およびマナー等の育成指導を受けること)に対して行うもので、選手保有、人数、選考資格、採用などは各球団の任意とされる。
  • 研修生はドラフト会議前に契約を結ぶことが出来る(承認の前に実行委員会の承諾を得る)が、支配下選手契約または育成選手契約をする場合は正規のドラフトにかける必要がある。基本的にどの球団であっても自球団または他球団の保有する研修生を指名することが可能であるが、契約の締結日は学校卒業生は卒業年の4月1日からの12月31日までの間、その他の者は毎年1月1日から12月31日までの間に可能とする。研修生としての在籍年限は3年間だが、3年を過ぎて契約を更新しても構わない。報酬および研修支援費は契約で定めるものとする。日本野球機構の年金規定対象者には該当しない。
  • 入団に当たっては入団テスト(1週間以内の合否を必要とする)をすることができる。ただし現役の大学生、高専生、高校生は日本学生野球憲章に抵触するため、テストを受けられない(卒業見込の者を除く)[7]。球団よりコミッショナーに届け出て野球研修生名簿に記載された者が研修生として見なされる。
  • 研修生のドラフト指名に関しては所属球団(自球団・保有球団)に優先獲得権を認める特例(※)がある。地位の得喪変更をするときは研修生名簿に記載する。また他球団との交渉(トレード)も同様である(※特例内容)。
  • 自球団が研修生を支配下選手や育成選手で指名しようとする場合はドラフト会議予定日一定の期日前までに通知する。
  • 他球団が研修生として自球団(保有球団)に対して指名するためには自球団に一次或いは二次のいずれのドラフトで指名するかを事前に通知する。通知を受けた自球団(保有球団)は選択指名の有無を他球団(指名予定球団)に対して通知する。その場合に一次ドラフト、二次ドラフトそれぞれで自球団(保有球団)が指名の優先権を持つが、他球団(指名予定球団)が一次ドラフトで指名し自球団(保有球団)が一次ドラフトで指名しなかった場合は、自球団(保有球団)は二次ドラフトで指名することはできない。
  • 研修生として3年以上(7月1日以降に入団した場合は入団年は期間にはカウントされない)経過している選手の場合は、自球団(保有球団)はその直後の選択会議において該当する研修生を事前に公表した上で一次、二次ともに該当選手を各2名、合計3名までを、指名した場合に指名順位に関わらず優先的に交渉権を獲得することができる。
  • 他球団(指名予定球団)の研修生が3年経過したが自球団(保有球団)から事前に指名予定選手として公表されなかった場合には、他球団(指名予定球団)は自球団(保有球団)の選手以外を自球団(保有球団)の優先権を適用されずに指名することができる。
  • 選択会議の翌年3月末現在で満25歳以上の研修生については在籍年数に関わらず、毎年選択対象者としていずれの球団も指名可能である。自球団(保有球団)の優先権は適用されない。

現在の研修生選手編集

  • 研修生選手として入団した選手は2014年現在1人もいない。育成選手契約が主流となっているが、ドラフトを経ずに社会人や海外の球団に所属したことのある選手が、研修生として契約することも想定される。過去の練習生兼球団の雇用する職員に準ずる考え方である。

成果編集

2005年にスタートした育成選手制度であるが、早くも2006年5月23日に福岡ソフトバンクホークス小斉祐輔西山道隆が支配下選手登録を受け、同月28日には西山が一軍初登板を、6月3日には小斉も一軍初出場を果たした。その後、西山は一軍未勝利のまま2009年限りで戦力外となったが、小斉は2007年8月23日に育成出身選手としての初安打を、2008年5月6日には初本塁打を記録している。

育成出身選手として初めて一軍の主力クラスに成長したのは、巨人の山口鉄也である。山口は2007年5月9日に育成出身選手としての初勝利を挙げると、2008年にはセットアッパーに定着して11勝を挙げ、育成出身選手として初めての新人王に輝いた。2009年にはWBC日本代表にも選出され、世界一に貢献。シーズンでも最優秀中継ぎ投手を受賞し、育成出身者初のタイトルホルダー、そして初の年俸1億円プレーヤーとなった。

巨人は山口以外にも育成出身選手の活躍が多く、ウィルフィン・オビスポは2009年7月2日に育成出身選手として先発での初勝利を挙げるなど、外国人枠の関係で出番は限られたがシーズン6勝を記録。ポストシーズンではこの年のクライマックスシリーズの2ndステージ第2戦、日本シリーズ第3戦に先発してそれぞれ勝利投手となり、育成出身選手のポストシーズン初勝利、日本シリーズ初勝利を記録した。また巨人での育成選手から支配下選手への昇格第1号となった松本哲也は、2009年に2番・中堅手のポジションを獲得し、シーズン通して3割前後の打率を維持した。そして育成枠出身選手初のゴールデングラブ賞、育成枠出身野手初の新人王を獲得。2年続けて育成枠出身選手が新人王を受賞。2009年の新語・流行語大賞に『育成選手』がノミネートされた[8]

巨人以外のチームも育成出身選手の活躍は出始めており、東北楽天ゴールデンイーグルス中村真人内村賢介は2008年のシーズン後半に1・2番コンビを組み、中村に関しては「悪球打ち」でも話題になった。2007年広島東洋カープに在籍したエスマイリン・カリダは、2009年にシカゴ・カブスで育成制度出身者としては初となるメジャーリーグ昇格を果たした。

このような状況を受け、各球団の育成選手数、支配下選手への昇格例も増加傾向にある。2010年秋のドラフトにおいては、総指名者97名のうちほぼ3割に当たる29名が育成選手として指名を受けるなど、この傾向はさらに顕著になっている。育成選手制度には独立リーグとの軋轢などの問題(詳細は後述)も指摘されるが、不況によって活動停止に追い込まれる社会人野球チームが増える中、若手選手の有効な発掘・育成の場として一定の成果を挙げつつあるといえる。

なお、育成選手としてプロ入りした選手で規定打席に到達した選手は、2011年のロッテの岡田幸文とオリックスのアーロム・バルディリスが初であり、規定投球回を投げた投手は2012年のソフトバンクの山田大樹が初である(単なる「育成選手契約経験者」を含めると、2007年に中日と育成選手契約した中村紀洋が同年規定打席に到達している)。

一方、北海道日本ハムファイターズはこれまで育成選手を1人も獲得していない。日本ハムは「実戦体験に勝る練習は無い」という方針により選手の出場機会を少しでも多く確保するためである。埼玉西武ライオンズは「全選手が育成すべき選手である」という方針により育成選手を獲得していなかったが2011年の育成ドラフトで初めて藤澤亨明を指名[9]、同じく捕手の中田祥多を支配下選手から育成登録した。

育成選手枠を巡る出来事編集

金本明博選手の契約変更編集

2007年4月26日中日ドラゴンズは入団2年目の金本明博を投手から野手へと転向させる。それに伴いこの年中の一軍昇格はないと判断し、さらに加えて上限の70名まで埋まっている支配下登録選手枠に空きを作りたいという思惑から、金本をウェイバー公示にかけて他球団から獲得の意思がなかった場合に育成選手として再契約することを決めた。この手法に対して選手会は「戦力補強の抜け道になりかねない。本来の制度趣旨と違う」と中日球団に抗議。これに対して中日監督の落合博満は「本人と充分に話し合って同意を得た上で、決められたルールに従ってやったことだ。本来なら金本は、8月には整理リストに入っていても(解雇の候補に挙がっても)おかしくない選手。育成選手枠の存在があるからこそ、金本は今も中日のユニフォームを着ていられるんだ」と真っ向から反論した。

5月1日セントラル・リーグの会長の豊蔵一は金本のウェイバー公示の取り消しを中日球団に通告。「育成選手枠の本来の趣旨と違う」「総合的に判断して決めた。ウェイバー公示の一方的な取り消しは規約違反だと分かってはいるが、承知の上」と弁明。だが落合監督は「正規のルールに従ってやっていることなのに、なぜそういうことになるのか」と重ねて反論。

5月7日、中日球団はウェイバー公示を再申請したものの、セ・リーグはこの申請を却下。中日球団はこの決定を不服とし、「申請の不受理は野球協約違反」を理由にコミッショナーに提訴する方針を発表した。

5月11日、中日の球団社長の西川は「ズルズルいくと球団にも金本にも益がない。他球団ともぎくしゃくした関係が生じかねない」として、コミッショナーへの提訴を断念した。これに対し、豊蔵は「中日球団が球界全体の利害を考慮し、現実的で穏当な判断をされたものと思う。連盟の不手際などで金本選手は不安な思いだっただろうが、今後は野球に専念し、グラウンドでいい結果を残してくれるよう活躍を期待する」との談話を発表した。ただし中日球団は「あくまでもルール通りにやったことでこちらに一切不備はない」と強調。連盟に対して育成選手枠に関してのルールの見直しを強く要求している。

10月29日、球団は金本へ戦力外通告するとともに自由契約とし、育成選手での再契約を提示するが、金本はこれを拒否し引退を選択した。

日本プロ野球選手会の会長の東京ヤクルトスワローズ宮本慎也は一連の騒動において、「球界のためにもいい制度であってほしい。金本君と一度会って、今後のことも含めて話をしたい」と語っていたが、実際に会談が行われたかは不明。

この一連の事例は育成制度導入前に問題点と指摘されていたが、ルール上問題なしとされていた。 (ただし選手会との合意が取れていたかは不明)

独立リーグへの派遣編集

2007年10月1日のプロ野球運営実行委員会で、千葉ロッテマリーンズの球団社長の瀬戸山隆三は、5〜8人程度の育成選手を獲得した上で、独立リーグである四国アイランドリーグ徳島インディゴソックスに派遣する構想を表明した[10][11]。当日の委員会では結論が出ず、継続審議の扱いになった[10]。一部球団からは「イースタン・リーグの混成チームであるフューチャーズの活用が先ではないか」といった意見が出された[12]。その後、社会人野球側から「育成選手制度の本来の趣旨と異なる」という指摘がなされ、NPB内部の他に社会人野球側とも調整が必要な状況となった[13]

11月6日のプロ野球運営実行委員会でも合意には至らず、引き続き継続審議となったが、次回の委員会の前にドラフト会議を迎えるため、来季の派遣については困難という報道がなされた[12]。この点について、瀬戸山社長はドラフトで6人程度を指名した上で引き続き他球団や社会人野球に理解を求めていくと表明した。

ロッテは、2007年11月11日にトライアウトを実施。その結果をもとに、11月19日に開かれたドラフト会議でアイランドリーグ所属の3人を含む5人を育成枠で指名した[14]。入団後は支配下登録を目指して当面イースタン・リーグやフューチャーズで育成しながら、独立リーグの球団へ育成選手を派遣する構想も引き続き持っていた。

その後、この構想については具体的な進展がない状態がしばらく続き、2007年に指名された育成選手のうち、支配下登録されていなかった4人は2009年のシーズン終了後に戦力外通告を受けた。2012年3月、プロ野球運営実行委員会の承認後に育成選手の独立リーグ(四国アイランドリーグplusおよびベースボール・チャレンジ・リーグ)への派遣を認めるとする規則ができた。これに従い、同年のシーズンに広島東洋カープから3名の選手がアイランドリーグの2球団に派遣された。派遣対象となる選手は入団2年目以降となっていたが、2013年度から外国人選手に限って1年目から派遣が認められることになった[15]

社会人選手の育成ドラフト指名編集

2011年のドラフト会議で、ソフトバンクが広島の社会人チーム「伯和ビクトリーズ」の星野雄大を育成ドラフトの指名リストに入れていたが、「企業所属の選手は技術向上と社会教育という育成制度の理念から外れるので、指名するならば支配下選手として指名すべき」という日本野球連盟からの申し入れにより指名を断念した。なお、星野は2012年は四国アイランドリーグplus・香川に在籍し、2012年のドラフト会議でヤクルトから支配下選手として5位指名を受けた[16]

なお、出自によるドラフトでの指名に明確な規定や制限はないが、過去には2006年に巨人がJR東日本の鈴木誠を育成1位で獲得した例がある[17]

チームスタッフの一時的な現役復帰編集

故障者が続出し二軍戦に出場できる選手が不足しているなどの理由で、一度現役を引退してチームスタッフを務めている者を、所属球団が育成選手契約を結び一時的に現役復帰させた例がある。2015年には東京ヤクルトスワローズ打撃投手だった阿部健太[18]東北楽天ゴールデンイーグルスブルペン捕手だった横山徹也[19]の2名、2017年には東京ヤクルトのブルペン捕手だった新田玄気[20]が育成選手契約を締結している。

脚注編集

  1. ^ プロ野球亭日乗:人材発掘か、ベテランの再生か――。育成選手制度を巡る“同床異夢”。 - 2011年11月2日 Number Web
  2. ^ 現に、中日はこれを理由に育成選手の背番号を200番台にしている。
  3. ^ 但し、実際には下記一覧にもあるように000の背番号をつけている選手はない
  4. ^ 1990年度 - 1992年度にも設置していた。2011年度に再度発足して以降、2013年度まで「第2の二軍」と称していた。2014年度・2015年度は「育成チーム」と表記、2016年度から正式な三軍に移行
  5. ^ 但し、2017年現在の広島「三軍」はリハビリーテーションチーム(故障者の治療チーム)という位置づけであり、他球団が若手育成を目的に実戦機会提供(プロ・アマ交流戦など)の場として活動する「三軍」の機能とは異なる。このため、他球団の三軍に準じたプロ・アマ交流戦などの実戦・育成活動は二軍組織の内部で行っている。
  6. ^ 西武根本陸夫管理部長の意向で1992年に設置されたが、根本が監督としてダイエーに移籍した1993年に廃止された。
  7. ^ 憲章の適用を受けない定時制・通信制高校の軟式野球部、東京六大学の理工系野球部、社会人野球のクラブチームなど日本学生野球協会傘下でない組織に所属している高校生・大学生の扱いについては明確にされていない。
  8. ^ 2009年ユーキャン新語・流行語大賞の候補語
  9. ^ 2011年 新人選手選択会議 (埼玉西武ライオンズ)日本野球機構オフィシャルサイト
  10. ^ a b 徳島(四国IL)へ選手派遣 ロッテが構想発表 - 四国新聞2007年10月2日
  11. ^ ロッテ、徳島に選手派遣表明 - Sports Communications(2007年10月1日)
  12. ^ a b 育成選手のアイランドリーグ派遣は困難に - Sports Communications(2007年11月6日)
  13. ^ 育成選手の四国IL派遣にクレーム-巨人球団代表 - 四国新聞2007年10月24日
  14. ^ 四国ILから5選手指名-プロ野球育成ドラフト - 四国新聞2007年11月20日
  15. ^ 育成外国人は1年目から独立リーグ派遣 - 四国新聞2012年12月11日
  16. ^ 2012年 新人選手選択会議 (東京ヤクルトスワローズ)日本野球機構オフィシャルサイト
  17. ^ 日本野球連盟難色 ソフトバンク“育成枠指名”断念へ - 2011年10月25日 Sponichi Annex
  18. ^ 野手陣の故障者続出より前年に現役を引退した阿部を育成契約。登録上は投手だが、出場した二軍戦15試合全て外野手で出場している。シーズン終了後再び引退しスカウトへ転身。
  19. ^ 一軍の捕手陣にけが人が続出し一時二軍の捕手が育成契約の外国人選手のみとなったため前年まで四国アイランドリーグplus愛媛マンダリンパイレーツでプレーしていた横山を育成契約。二軍戦14試合に出場。シーズン終了後再び引退し再びブルペン捕手となった。
  20. ^ 野手陣の故障者続出より2014年に引退をした新田を育成契約、本来は捕手であるが2軍戦では二塁手として出場した

関連項目編集

外部リンク編集