曹楷

中国三国時代の魏の皇族。曹彰の嫡子。崇化少府。済南王。

曹 楷(そう かい、生没年不詳)は、中国三国時代の皇族。

曹楷
続柄 任城王第一王子

全名 曹楷
身位 王()→県公(
子女 曹温
曹悌
曹芳(異説もある)
父親 任城王曹彰
役職 崇化少府
テンプレートを表示

生涯 編集

黄初4年(223年6月、父の任城王曹彰が没すると位を世襲し、中牟県王に改封された。翌黄初5年(224年)、任城県に改封され、太和6年(232年)には任城国中国語版に改封され、食邑として五県二千五百戸を与えられた。

正始7年(246年)、済南王に改封され、三千戸を与えられた。正元年間、景元元年(260年)にも食邑を増やされておよそ四千四百戸を有した。

魏に代わってが成立すると、県公に降格された。泰始元年(265年)、皇太后王元姫の居する崇化宮の少府に任命された。

子女 編集

子に曹温(邯鄲王、後に魯陽王)・曹悌(梁王)[1]

脚注 編集

  1. ^ 三国志』「魏書」三少帝紀の裴松之注に引く孫盛の『魏氏春秋』には、明帝が養子とした曹芳(斉王、第3代皇帝)・曹詢(秦王)の実父と記されているが、盧弼中国語版は『三国志集解』で疑義を呈している。

参考資料 編集

  • 三国志』巻十九 魏書十九 任城王曹彰
  • 晋書』巻三十一 列伝第一 后妃上