曽 鯨(そ げい、Zheng Jing、嘉靖43年(1564年) - 順治4年(1647年))は、明代後期の画家。は波臣。興化府莆田県の出身。人生の大半を金陵一帯(南京)で暮らす。

曽鯨肖像画

略伝

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肖像画家として福建浙江江蘇一帯で活躍した。

西洋画の陰影法などを取り込み、肖像画を画いた。「鏡に映したように人物の精神を写し取る」(原文:「如鏡取影、妙得神情」)と称される[1]

一枚の肖像画を画くのに十数回も隈取り(烘染法)を重ね技巧の粋を尽くした[1]という。

 
王時敏25歳肖像 顧秉謙題 曽鯨画

その画風は一世を風靡し多くの門人が学んだ。この一派を波臣派と称した。明末清初の肖像画はこの波臣派と江南派の2派に分類[2]される。

晩年は南京郊外の牛首山にて過ごす。視力が低下し細かいものが見えなくなった。享年84。

弟子の張琦作「費隠通容像」は隠元隆琦によって日本にもたらされ、黄檗画頂相の原点となった。

波臣派

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氏名 出身地 備考 出典
郭鞏 無疆 福建莆田 『国朝画微録』巻上
劉祥開 瑞生 福建長汀 『図絵宝鑑続纂』巻2
謝彬 文候 浙江上虞 『国朝画微録』巻上
徐易 象九 浙江山陰   同上
張琦 玉可 浙江秀水   同上
張遠 子游 浙江無錫   同上
沈紀 聿修 浙江秀水   同上
沈韶 爾調 江蘇華亭   同上
顧雲仍 雲臣 江蘇太倉または呉江 顧見龍か? 蘇州虎丘に住す 『明画録』
廖大受 君可 福建 江蘇宜興に寄食    同上
顧企 宗漢 江蘇華亭 『図絵宝鑑続纂』巻2
金穀生 『明画録』
王宏卿   同上

脚注

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  1. ^ a b 姜紹書『無声詩史』
  2. ^ 張庚『国朝画微録』

出典

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  • 西上実「黄檗の美術とその源流」(図録「黄檗の美術 江戸時代の文化を変えたもの」1993年、京都国立博物館)所載
  • 梁白泉主編『中国肖像画選集』南京博物院