木下秀峯(きのした ひでみね)は、江戸時代中期の地下官人。本姓は豊臣氏

 
木下秀峯
時代 江戸時代中期
生誕 宝永7年5月2日1710年5月29日
死没 天明元年12月20日1782年2月2日
改名 秀峯(しげみね)→秀峯(ひでみね)
官位 正六位下安房守
主君 後桜町天皇後桃園天皇光格天皇
氏族 木下氏豊臣氏
秀時、女子(青木久隆の妻、宇佐美重守の母)
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概要 編集

朝廷に仕えた地下官人であり、滝口武者を再興した。『地下家伝』によると、明和5年(1768年)に59歳で滝口に補せられた。安永7年(1778年)2月8日には名前の訓み方を「しげみね」から「ひでみね」へと変えている[1]

官歴 編集

地下家伝』による。

  • 明和5年(1768年
    • 6月10日 - 滝口
    • 6月13日 - 従六位下、左衛門少志
    • 12月19日 - 少尉に転じる
  • 安永4年(1775年)3月13日 - 従六位上
  • 安永7年(1778年
    • 2月8日 - 名前の訓みを「しげみね」から「ひでみね」へと変更
    • 5月19日 - 任安房守
  • 天明元年(1781年)6月4日 - 正六位下

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ 『地下家伝』

参考文献 編集

  • 国文学研究資料館「地下家伝・芳賀人名辞典データベース[1]