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本来の表記は「朱榑」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

朱 榑(しゅ ふ、至正24年11月30日1364年12月23日) - 宣徳3年(1428年))は、の皇族。初代皇帝である朱元璋(洪武帝)の七男。生母は達定妃。第3代皇帝である永楽帝の異母弟。

1370年に斉王に封じられ、1382年に任地に赴いた。異民族との戦いで功績を挙げるなど武勇に優れていたが、それをかさに着て傲慢で粗暴な性格だったという。これは朱元璋没後、建文帝治下で行なわれた黄子澄斉泰らの藩王削減において格好の口実となった。1399年に謀反の疑いありとして応天府(南京)に召還され、有罪として庶人に落とされた上に監禁された。

後に永楽帝が即位すると復帰を許された。しかし粗暴な性格は改まることなく、遂には刺客を集めて永楽帝の暗殺を企んだとして1406年にその罪状を指摘され、一族と共に庶人に落とされて追放となった。

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  1. 世子 朱賢烶
  2. 楽安王 朱賢{火+志}
  3. 長山王 朱賢𤊥
  4. 平原王 朱賢{安+火}
  5. 朱賢爀

参考文献編集

  • 明史』列伝第五 諸王二