遂平公主
(朱徽婧から転送)
遂平公主(すいへいこうしゅ、万暦39年(1611年) - 崇禎6年1月1日(1633年2月8日))は、明の泰昌帝の七女。姓諱は朱 徽婧(しゅ きせい)。母は傅懿妃。
朱徽婧 | |
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続柄 | 泰昌帝第七皇女 |
全名 | 朱徽婧 |
称号 | 遂平長公主 |
身位 | 長公主 |
出生 |
万暦39年(1611年) |
死去 |
崇禎6年1月1日(1633年2月8日) |
埋葬 | 普安山 |
配偶者 | 斉賛元 |
子女 | 女子4人 |
父親 | 泰昌帝 |
母親 | 傅氏 |
生涯
編集万暦39年(1611年)に、皇太子朱常洛(のちの泰昌帝)と選侍(皇子の側室)傅氏の娘として生まれた。万暦48年または泰昌元年(1620年)、泰昌帝は即位の翌月に崩じ、子供たちを王や公主に封じることもできなかった。異母兄の天啓帝が代わって即位すると、徽婧は母や姉の朱徽妍と共に別宮へ追放されたが、後に呼び戻され、また遂平長公主に封じられた。天啓7年(1627年)、斉賛元に降嫁した。
崇禎6年(1633年)正月1日、薨去した。普安山に葬られた。崇禎17年(1644年)3月、北京が李自成軍によって陥落すると、寡夫の斉賛元は南京に避難した。清軍が南京に侵入すると、斉賛元は降臣として清朝に仕えた。
子女
編集- 4人の女子
参考文献
編集- 『明史』 - 列伝第九 公主伝
- 『明熹宗実録』
- 『遂平長公主墓志銘』