李培基
李 培基(り ばいき)は中華民国の軍人、政治家。初めは山西省の閻錫山に属し、後に国民政府(国民革命軍)の軍人、政治家となる。字は涵礎。
李培基 | |
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Who's Who in China 4th ed. (1931) | |
プロフィール | |
出生: | 1886年(清光緒12年) |
死去: |
1969年 中華人民共和国北京市 |
出身地: | 清直隷省河間府献県 |
職業: | 軍人・政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 李培基 |
簡体字: | 李培基 |
拼音: | Lǐ Péijī |
ラテン字: | Li P'ei-chi |
和名表記: | り ばいき |
発音転記: | リー ペイジー |
事跡
編集東三省陸軍講武堂と東三省陸軍測絵学堂に入学し、中国同盟会に加入した。辛亥革命の際には、革命派として関外民軍総司令部参謀長をつとめた。
1918年(民国7年)、閻錫山率いる晋軍(山西軍)に属する。1927年(民国16年)夏、国民革命軍北方第1軍第1師師長をつとめ、さらに綏遠都統に任命された。1928年(民国17年)6月、第3集団軍第1軍軍長に昇進した。
北伐終了後の9月、軍縮に伴い第3集団軍暫編第1師師長となる。10月、中央陸軍の編制に組み込まれて第32師師長となった。同月、河北省政府委員に任じられる。1929年(民国18年)8月、綏遠省政府主席に任命され、1931年(民国20年)8月までつとめる。
1933年(民国22年)4月、黄河水利委員会委員に任命され、5月、河南省民政庁長に転じた。1935年(民国24年)6月、河北省民政庁長にいったん転出し、翌年6月、再び河南省民政庁長に復帰した。1938年(民国27年)2月、国民政府監察院監察委員に就任し、5月には、銓叙部部長となる。1941年(民国30年)12月、考試院秘書長をつとめた。
1942年(民国31年)1月、河南省政府主席に任命される。翌月、同省保安司令も兼任した。1944年(民国33年)7月から9月にかけて、これらの地位から罷免されている。民国35年(1946年)、中国国民党第6期中央執行委員となる。1948年(民国37年)には立法院立法委員に選出された。
中華人民共和国成立後は大陸にとどまった。中国人民政治協商会議全国委員会において、第3期特別招待委員、第4期委員をつとめている。
参考文献
編集- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
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中華民国(国民政府)
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