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河北省(かほくしょう)は、かつて中華民国に存在した省。現在の中華人民共和国河北省の一部に相当する。

中華民国 河北省
1923年 - 1949年
河北省の位置
河北省の位置
簡体字 河北
繁体字 河北
拼音 Hébĕi
カタカナ転記 ホーベイ
国家 中華民国
行政級別
政府所在地 天津市1912-1918
北平市1918-1925
清苑県1925-1937
西安市1937-1946
清苑県1946-1947
北平市1947-1949
建置 1928年
消滅 1949年 
面積
- 総面積 140,235 km²
人口

管轄区域編集

1928年民国17年)6月28日、直隷省及び京兆地方を統合し河北省が設置された。北は遼寧省熱河省察哈爾省と、南は河南省山東省、西は山西省とそれぞれ接し、東は渤海湾に面していた。

同年9月17日、宣化赤城万全竜関懐安蔚県延慶涿鹿の各県が察哈爾省に移管[1]され、現在の河北省の大部分、北京市及び天津市の市中心部を除く大部分、河南省山東省の一部を含む140,235平方キロメートルの行政管轄区域とされた。1936年(民国25年)2月、河北省及び河南省の行政区画整理要請に基づき河北省の長垣濮陽東明の3県が河北省から河南省に、武安及び渉県の2県が河南省から河北省に移管されることが決定[2]したが、こちらは実行されなかった。

行政区沿革編集

1928年(民国17年)6月28日、直隷省及び京兆地方を統合し河北省が設置された。省名は唐代河北道が設置されたことによる。7月4日に省政府が天津市に設置された。

省会編集

1928年(民国17年)の省設置当初は天津市に省会が設置されたが、同年10月12日北平市に移転している。1930年(民国19年)10月、張学良により南京政府に対し省会を天津市に移転する上奏が行われ、10月15日に移転が完了している。1935年(民国25年)5月、日本軍の侵攻により冀東防共自治政府が成立すると、6月1日、省会は清苑県に移転した。1937年(民国26年)7月7日、盧溝橋事件により日中戦争が勃発すると清苑県は日本軍に占拠され、中華民国臨時政府(後の華北政務委員会)の管轄とされた。

その後中華民国河北省政府は亡命政府となったが、1945年9月20日に陝西省西安市で河北省政府が再編成され、11月には北平市(1946年7月14日から1947年11月10日までは清苑県に移転)に復帰している。

歴代省長編集

行政区画編集

県級行政区画編集

中華人民共和国成立直前の管轄県は下記の通り。(50音順)

行政督察区編集

行政督察制度は省政府と県政府の間に中間行政機構を設置し、各県を監督させる制度である。江蘇省では1932年(民国21年)、南京政府が発布した『各省行政督察専員暫行条例』に依拠し全省を10行政監督区に分割、各県を監督した。1937年(民国26年)3月には17区に改編されている。

1937年(民国28年)に日中戦争が勃発すると中華民国は河北省の統治権を喪失したが、行政組織上は行政督察区が設置され、全省を18区とする関連法令が発布されたが実施されることはなかった。

1945年(民国34年)11月、日本の敗戦に伴い行政権を回復した中華民国は全省を18区とする行政督察区を設置し、1949年(民国38年)の中華人民共和国建国まで沿襲された。

脚注編集

  1. ^ 『国民政府公報』第93期 1928年9月
  2. ^ 『国民政府公報』第1983号 1936年2月28日

関連項目編集