李 嵋(イ・ミ、正徳4年9月15日1509年10月28日) - 嘉靖12年5月23日1533年6月15日))は、李氏朝鮮の国王中宗の庶長子。母は敬嬪朴氏貞愍

福城君 李嵋
宗親世
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続柄 中宗庶長子
諡号 貞愍
出生年 正徳4年9月15日1509年10月28日
没死年 嘉靖12年5月23日1533年6月15日))
実父 中宗
実母 敬嬪朴氏
義父 尹仁範
配偶者 坡平尹氏
李嵋
各種表記
ハングル 이 미(복성군)
漢字 李嵋(福城君)
発音: イミ/りび
(ポクソングン/ふくじょうくん)
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福城君に封じられた李嵋は、10代で文定王后より賜婚を受け、坡平尹氏県監贈賛成尹仁範の女子を娶る。灼鼠の変1527年)に際し、木牌の変(1533年)により母親共々処刑される。墓所は京畿道楊州市