村上 美平(むらかみ よしひら、1789年天明9年)‐ 1843年天保14年))は、江戸時代後期の神職医学者霊明神社京都府京都市東山区)の二代目神主。父である村上都愷の死後、霊明神社に大きな影響を与えた。

 
村上 美平
時代 江戸時代
生誕 1789年天明9年)
死没 1843年天保14年)
官位 従六位上
氏族 村上氏
父母 村上都愷
村上都平
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生涯編集

1789年(天明9年)に村上都愷の嫡子として生まれる。智勇な人物であり、幼い頃から儒学医学などが優秀であった。父を助けながらひたすら神道に励んだものの、1819年文政2年)に父が死去。そのため二代目として父の後を継いだ。1820年(文政3年)に正法寺での葬儀を決定した門人に「違乱申立」はしないと言い、改めて清林庵と取り決めた。そして、神祇管領吉田殿家に願い、「神葬許状」を貰った。

1827年(文政10年)に大塩平八郎も関係するキリシタンの事件で、平八郎と豊田貢投獄された際、その嫌疑が土御門家にまで及んだため、無実を証明するために大坂町奉行に乗り込み、陰陽道に申し込み、嫌疑を晴らした。1843年(天保14年)、霊明神社の発展に取り組みながら死去(54歳没)。

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