松平武寛
松平 武寛(まつだいら たけひろ)は、江戸時代中期の大名。上野国館林藩主。官位は従五位下・主計頭、右近衛将監。越智松平家4代。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦4年10月7日(1754年11月20日) |
死没 | 天明4年3月26日(1784年5月15日) |
戒名 | 大隆院恒山 |
墓所 | 東京都荒川区東日暮里の善性寺 |
官位 | 従五位下・主計頭、右近衛将監 |
幕府 | 江戸幕府奏者番 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 上野館林藩主 |
氏族 | 越智松平家 |
父母 | 父:松平武元、母:石井氏 |
兄弟 | 武寛、戸田氏教、松平忠泰正室、房姫、安藤信成正室、松平忠済正室、森忠興正室、泰、侶姫ら |
妻 | 松平頼恭の娘 |
子 | 斉厚、松平乗友正室、井上正甫継室 |
生涯
編集宝暦4年(1754年)10月7日、先代藩主・松平武元の四男として誕生した。兄3人の早世により嫡子となり、明和5年(1768年)に主計頭に任官する。安永8年(1779年)、父の死去により家督を継ぎ、右近将監に遷任する。安永9年(1780年)に奏者番に任じられる。天明3年(1783年)の天明の大飢饉で大被害を受けたため、救済に尽力し、同時に90歳以上の高齢者に米を与えるなどしている。