松平 斉厚(まつだいら なりあつ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名上野国館林藩主、のち石見国浜田藩主。寺社奉行官位従四位上権少将越智松平家5代。

 
松平斉厚
時代 江戸時代後期
生誕 天明3年9月26日1783年10月21日
死没 天保10年11月5日1839年12月10日
改名 久五郎(幼名)、武厚(初名)、斉厚
戒名 大功院
官位 従五位下主計頭右近衛将監従四位上・権少将
幕府 江戸幕府 奏者番寺社奉行
主君 徳川家治家斉家慶
上野館林藩主、石見浜田藩
氏族 越智松平家
父母 松平武寛松平頼恭
兄弟 斉厚松平乗友正室、井上正甫継室
松浦清
関氏、石井氏
松平斉良正室、松平武揚正室、敬姫
斉良武揚
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生涯

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天明3年(1783年)、館林藩主・松平武寛の長男として誕生した。まもなく父が死去したため2歳で家督を継ぐ。はじめ武厚(たけあつ)と名乗り、寺社奉行を務める。

その後、11代将軍徳川家斉の二十男・松平徳之佐(のちの斉良)を婿養子(および養嗣子)に迎え幕府との結びつきを強め、家斉から偏諱を受けて斉厚と改名する。天保7年(1836年)には館林から浜田に移った。斉良は夭折したため、讃岐国高松藩から迎えた養子の武揚が家督を継いだ。

天保10年(1839年)、死去。

年表

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官歴

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  • 寛政9年(1797年):従五位下・主計頭、右近将監
  • 天保6年(1835年):従四位上・権少将

系譜

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