松本員枝

日本の社会活動家、フェミニスト、教育者

松本 員枝(まつもと かずえ、1899年9月26日 - 1994年8月31日)は、日本社会活動家フェミニスト教育者である[1][2]

まつもと かずえ

松本 員枝
生誕 1899年9月26日
和歌山県
死没 1994年8月31日
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京女子高等師範学校理科
活動期間 1920年代1990年代
団体 婦人民主新聞
活動拠点 大阪市
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生涯 編集

東京女子高等師範学校在学中にキリスト教と出会う。学校は病気中退して大阪府池田市宣真高女数学科の教師となる。教師を退職後、29歳で大阪市社会事業を行う財団法人弘済会に就職。大阪市内で社会事業に携わる川上貫一岩崎盈子と出会う。このころ新築地劇場の大阪後援会に入る。昭和8年大阪共産党大検挙事件では、松本も逮捕されている。大阪の社会事業連盟の女性会「木曜会」の事務を行っていた。この時、林歌子小橋カツエ三木達子保良せき柴原浦子らと出会っている。

戦後は木曜会を「建設婦人会」と名称を改めて活動を行った。婦人民主新聞の大阪支局長に就任[1]しているほか、女性運動安保闘争反公害運動消費者運動など幅広い社会運動に関わった。社会運動で培った経験と広範な人間関係から「大阪の草の根市民運動の草分け的存在」とも呼ばれた。1980年にはドメス出版から「自由と解放へのあゆみ―松本員枝聞き書き」が刊行された。同書では飯田しづえ伍賀偕子女性活動家労働運動家らが「聞き書きの会」を結成して、晩年の松本にインタビューしている。出版に寄せて佐多稲子山本安英村山リウらが言葉を寄せた[2]

書籍 編集

脚注 編集

外部リンク 編集