松林和雄
松林 和雄(まつばやし かずお、1962年6月28日 - )は、山口県玖珂郡玖珂町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投げ両打ち。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 山口県岩国市 |
生年月日 | 1962年6月28日(62歳) |
身長 体重 |
180 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1980年 ドラフト3位 |
初出場 | 1988年6月21日 |
最終出場 | 1990年6月17日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集柳井商業高から、1980年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団[1]。プロ入り後にスイッチヒッターに転向する。
プロ8年目の1988年に一軍初出場を果たし、6月には左翼手として2試合に先発出場。この年はウエスタンリーグで盗塁王を獲得[2]。
1990年に福岡ダイエーホークスに移籍。6月にはチャンスメーカーとして9試合に先発、一番打者としても2試合に起用され、6月5日のオリックス戦で松永浩美とともに両軍先頭打者本塁打を記録[2]したが以降は打撃面で結果を残せず同年限りで引退した。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1988 | 広島 | 6 | 10 | 8 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 1 | .125 | .300 | .125 | .425 |
1989 | 20 | 11 | 10 | 6 | 2 | 0 | 1 | 1 | 7 | 1 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .200 | .200 | .700 | .900 | |
1990 | ダイエー | 12 | 32 | 25 | 4 | 4 | 2 | 0 | 1 | 9 | 4 | 0 | 1 | 4 | 0 | 3 | 0 | 0 | 9 | 0 | .160 | .250 | .360 | .610 |
通算:3年 | 38 | 53 | 43 | 13 | 7 | 2 | 1 | 2 | 17 | 5 | 4 | 2 | 5 | 0 | 4 | 0 | 1 | 15 | 1 | .163 | .250 | .395 | .645 |
記録
編集- 初出場:1988年6月21日、対中日ドラゴンズ12回戦(福山市民球場)、6回裏に白武佳久の代打として出場
- 初先発出場:1988年6月25日、対横浜大洋ホエールズ9回戦(福島県営あづま球場)、6番・左翼手として先発出場
- 初安打:同上、2回裏に欠端光則から
- 初本塁打・初打点:1989年8月11日、対ヤクルトスワローズ16回戦(広島市民球場)、7回裏に長嶋清幸の代打として出場、矢野和哉からソロ
背番号
編集- 52 (1981年 - 1984年、1990年)
- 15 (1985年 - 1987年)
- 55 (1988年 - 1989年)
脚注
編集- ^ 【野球】元広島・高橋慶彦の手術で思い出した先発5人スイッチヒッターの可能性があった時代/オピニオンD/デイリースポーツ online
- ^ a b 1991 ベースボール・レコードブック ベースボールマガジン社
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 松林和雄 - NPB.jp 日本野球機構