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1990年の野球(1990ねんのやきゅう)では、1990年野球界における動向をまとめる。

競技結果 編集

日本プロ野球 編集

ペナントレース 編集

1990年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 88 42 0 .677 優勝
2位 広島東洋カープ 66 64 2 .508 22.0
3位 横浜大洋ホエールズ 64 66 3 .492 24.0
4位 中日ドラゴンズ 62 68 1 .477 26.0
5位 ヤクルトスワローズ 58 72 0 .446 30.0
6位 阪神タイガース 52 78 0 .400 36.0
1990年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 西武ライオンズ 81 45 4 .643 優勝
2位 オリックス・ブレーブス 69 57 4 .548 12.0
3位 近鉄バファローズ 67 60 3 .528 14.5
4位 日本ハムファイターズ 66 63 1 .512 16.5
5位 ロッテオリオンズ 57 71 2 .445 25.0
6位 福岡ダイエーホークス 41 85 4 .325 40.0

日本シリーズ 編集

1990年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月20日(土) 第1戦 西武ライオンズ 5 - 0 読売ジャイアンツ 東京ドーム
10月21日(日) 第2戦 西武ライオンズ 9 - 5 読売ジャイアンツ
10月22日(月) 移動日
10月23日(火) 第3戦 読売ジャイアンツ 0 - 7 西武ライオンズ 西武ライオンズ球場
10月24日(水) 第4戦 読売ジャイアンツ 3 - 7 西武ライオンズ
優勝:西武ライオンズ(2年ぶり9回目)

個人タイトル 編集

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 斎藤雅樹 巨人   野茂英雄 近鉄  
最優秀新人 与田剛 中日   野茂英雄 近鉄  
首位打者 J.パチョレック 大洋 .326 西村徳文 ロッテ .338
本塁打王 落合博満 中日 34本 O.デストラーデ 西武 42本
打点王 落合博満 中日 102点 O.デストラーデ 西武 106点
石嶺和彦 オリックス
最多安打 J.パチョレック 大洋 172本 J.トレーバー 近鉄 150本
盗塁王 緒方耕一 巨人 33個 秋山幸二 西武 51個
野村謙二郎 広島
最高出塁率 落合博満 中日 .416 清原和博 西武 .454
最優秀防御率 斎藤雅樹 巨人 2.17 野茂英雄 近鉄 2.91
最多勝利 斎藤雅樹 巨人 20勝 渡辺久信 西武 18勝
野茂英雄 近鉄
最多奪三振 木田優夫 巨人 182個 野茂英雄 近鉄 287個
最高勝率 斎藤雅樹 巨人 .800 野茂英雄 近鉄 .692
最優秀救援投手 与田剛 中日 35SP 鹿取義隆 西武 27SP

ベストナイン 編集

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 斎藤雅樹 巨人 野茂英雄 近鉄
捕手 村田真一 巨人 伊東勤 西武
一塁手 落合博満 中日 清原和博 西武
二塁手 高木豊 大洋 大石大二朗 近鉄
三塁手 バンスロー 中日 松永浩美 オリックス
遊撃手 池山隆寛 ヤクルト 田中幸雄 日本ハム
外野手 J.パチョレック 大洋 西村徳文 ロッテ
広沢克己 ヤクルト 石嶺和彦 オリックス
原辰徳 巨人 秋山幸二 西武
指名打者   O.デストラーデ 西武

高校野球 編集

大学野球 編集

社会人野球 編集

メジャーリーグ 編集

韓国プロ野球 編集

できごと 編集

1月 編集

2月 編集

3月 編集

4月 編集

5月 編集

  • 5月2日
    • 広島市民球場での広島東洋カープ対大洋5回戦は延長15回3対3の引分け。セ・リーグが今季から導入した延長15回再試合の適用第1号。試合時間はプロ野球新記録の5時間24分[14]
    • 西武の平野謙が西武球場での対ダイエー4回戦の八回一死一塁で犠打を決め、プロ通算250犠打を達成。元阪神の吉田義男に次ぎ史上2人目[15]
  • 5月5日 - 横浜スタジアムでの大洋対阪神6回戦は、9回終了時点での試合時間5時間10分のセ・リーグ新記録。四球が大洋12、阪神8と両チーム合計1試合20四球のセ新記録[16]
  • 5月8日 - 中日の落合博満浜松市営球場での対阪神3回戦の三回裏に8号3点本塁打を打ち、プロ通算350本塁打を達成[17]
  • 5月9日
    • 西武の渡辺久信が東京ドームでの対日本ハム3回戦に先発、延長十一回裏一死から小川浩一にこの試合初安打を打たれる。9回を投げ無安打無得点はプロ野球史上10度目[18]
    • ダイエーの間柴茂有北九州市民球場での対近鉄3回戦に先発し、通算500試合登板を達成[19]
  • 5月16日 - 近鉄の新井宏昌日生球場での対日本ハム6回戦の五回裏無死一、二塁の場面で犠打を決め、プロ通算250犠打を達成[20]
  • 5月23日 - ナゴヤ球場での中日対巨人7回戦で巨人が3-2で勝利し、日本プロ野球史上初の球団3000勝を達成[21]
  • 5月26日 - 甲子園球場での阪神対中日7回戦で中日は先発野手全員が四球を記録[22]
  • 5月27日 - オリックスの石嶺和彦が東京ドームでの対日本ハム8回戦の七回表に9号2点本塁打を打ち、プロ通算150本塁打を達成[23]
  • 5月29日 - 巨人の斎藤雅樹が甲子園球場での対阪神9回戦に先発し、被安打2、1失策の3走者を併殺に打ち取り打者27人の残塁なしで完封勝利[24]

6月 編集

7月 編集

  • 7月5日 - 阪神の田尾安志が甲子園球場での対巨人16回戦の四回裏に安打を打ち、プロ通算1500安打を達成[45]
  • 7月7日 - ダイエーの藤本博史が浜松での対日本ハム11回戦でサイクル安打を達成[46]
  • 7月21日 - ヤクルトの池山隆寛がナゴヤ球場での対中日18回戦の七回表に16号2点本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[47]
  • 7月22日 - 日本ハムの若菜嘉晴が西武球場での対西武17回戦の2回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成。史上161人目[48]
  • 7月30日 - 広島の北別府学がナゴヤ球場での対中日18回戦の3回裏に中村武志から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成。史上32人目[49]

8月 編集

  • 8月4日 - 大洋の田代富雄が横浜スタジアムでの対中日17回戦の15回裏に代打として登場して安打を打ち、プロ通算1500試合出場を達成[50]
  • 8月5日
    • 西武球場での西武対近鉄18回戦で、近鉄の先発・野茂英雄は10三振を奪い、パ・リーグ新記録となる1シーズン13度目の2桁奪三振を記録[51]。西武の清原和博が六回裏に24号本塁打を打ち、プロ通算150本塁打を達成[52]
    • 大洋の新浦壽夫が横浜スタジアムでの対中日18回戦の9回二死から救援登板し、プロ通算500試合登板を達成[53]
  • 8月7日
    • 巨人の加藤初が東京ドームでの対大洋21回戦の九回表に遠藤一彦から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[54]
    • オリックスの今井雄太郎が前橋球場での対日本ハム17回戦の三回裏途中から救援登板し、プロ通算2000投球回を達成[55]
  • 8月10日 - この日試合予定の東京ドームでの巨人対中日16回戦が台風の影響で中止となる。台風11号の影響で中日ナインが東海道新幹線の名古屋駅から乗車予定だったひかり222号が運休し、この状況を中日側が巨人側に説明し、巨人は14時半に中止を決定[56]
  • 8月13日 - オリックスのオーナーの宮内義彦は、来季より本拠地を神戸(グリーンスタジアム神戸)へ移転すると発表。また愛称名を一般公募することも発表[57]
  • 8月14日 - 広島の佐々岡真司投手が、対中日ドラゴンズ19回戦(広島市民球場開催)において、9回裏に郭源治からサヨナラソロ本塁打を放った。
  • 8月15日 - パ・リーグは審判の高木敏昭が依願退職したと発表[58]
  • 8月21日 - 日本ハムの大島康徳が西宮球場での対オリックス19回戦の六回表に中前安打を打ち、プロ通算2000安打を達成[59]
  • 8月22日 - 中日の小松辰雄明治神宮野球場での対ヤクルト21回戦に先発して6勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[60]
  • 8月23日 - ヤクルトの池山隆寛が神宮球場での対中日22回戦でサイクル安打を達成[61]
  • 8月24日
    • 近鉄の野茂英雄がグリーンスタジアム神戸での対オリックス20回戦に先発し、10奪三振を記録してプロ野球新記録となる5試合連続2桁奪三振を達成[62]
    • ロッテの村田兆治が西武球場での対西武16回戦に先発登板し、プロ通算600試合登板を達成。村田はこの試合で完封し8勝目を挙げる[63]
  • 8月27日 - 阪神の監督の中村勝広は甲子園球場での対ヤクルト21回戦の試合後に、ラリー・パリッシュを翌28日の試合から起用せず「事実上の退団と考えてもらっていい」と語る[64]
  • 8月28日 - 阪神の球団代表の高田順弘は、ラリー・パリッシュが左膝の治療のためアメリカに帰国すると発表。今季限りで切れる契約について球団、パリッシュ双方とも再契約の意思がないことを明らかにし、退団も事実上決定[65]
  • 8月30日 - 広島の山崎隆造がナゴヤ球場での対中日24回戦の犠打を決め、プロ通算200犠打を達成[66]

9月 編集

  • 9月1日 - 巨人の川相昌弘が横浜スタジアムでの対大洋17回戦一回表に無死一塁から犠打を決め、シーズン56犠打のプロ野球タイ記録[67]
  • 9月4日 - 巨人の川相昌弘が東京ドームでの対中日21回戦の一回裏に無死一塁から犠打を決め、1シーズン57犠打のプロ野球新記録[68]
  • 9月5日
    • オリックスの監督の上田利治が西宮球場での多日本ハム23回戦の試合後に記者会見を行い、今シーズン限りで退任することを表明[69]
    • 甲子園球場での阪神対大洋23回戦で阪神は六回裏に八木裕高井一鮎川義文が3者連続で三塁打を打ち、1イニング3者連続三塁打のプロ野球タイ記録[70]
  • 9月7日 - プロ野球実行委員会が都内のホテルで開かれ、ドラフト対象選手の練習生、球団職員としての採用を原則として禁止することを申し合わせる[71]
  • 9月8日 - 広島市民球場での広島対大洋21回戦で広島が大洋に1-3で敗れ、巨人が東京ドームのヤクルト戦に延長10回裏吉村禎章の10号サヨナラ本塁打で勝ち、リーグ優勝達成[72]
  • 9月9日
    • オリックス対西武の24回戦が西宮球場で行われオリックスが西武に13-11でサヨナラ勝ちし、オリックスの監督の上田利治が監督通算1000勝を達成[73]
    • 日本ハムの大島康徳が宇都宮清原球場での対近鉄26回戦の六回裏に代打として出場して二塁打を打ち、プロ通算300二塁打を達成[74]
  • 9月11日
    • ナゴヤ球場で17時55分頃バックスクリーン右後方左翼寄りの照明灯下の清掃用置場で火災が発生。観客六千人のうち外野席の千人が警備員の誘導で非常口からグラウンドに避難。この影響で同球場での中日対大洋22回戦は18時20分試合開始の予定が23分遅れ、18時43分に試合開始[75]
    • 阪神の猪俣隆が神宮球場での対ヤクルト22回戦の二回表に適時打を放ち、プロ入り80打席目で初安打を記録[76]
  • 9月12日 - 西武の山根和夫が引退を表明[77]
  • 9月22日 - 日本ハムの島田誠が西武球場での対西武22回戦の二回表に適時打を打ち、プロ通算1500安打を達成[78]
  • 9月23日 - 西武対日本ハムの23回戦が西武ライオンズ球場で行われ西武が日本ハムに9-3で勝利し、パ・リーグ優勝を決める[79]
  • 9月25日 - ロッテの村田兆治が東京都内の自宅で今シーズン限りでの現役引退を表明[80]
  • 9月26日 - オリックス対ダイエー24回戦(阪急西宮球場)でダイエーの広永益隆が六回裏に山沖之彦から6号本塁打を打ち、これが日本プロ野球通算6万号ホームランを記録[81]
  • 9月27日 - 近鉄の野茂英雄が西武球場での対西武24回戦に先発し12三振を奪い、1シーズン2桁奪三振20のプロ野球タイ記録[82]
  • 9月28日 - オリックスは神戸市内のホテルで野球評論家の土井正三の監督就任を発表[83]

10月 編集

  • 10月2日 - 西武の鹿取義隆が西武球場での対オリックス26回戦で八回表から登板し、プロ通算500試合登板を達成[84]
  • 10月5日 - オリックスは一般公募していた愛称を「ブルーウェーブ」と決定したと発表[85]
  • 10月6日 - 大洋の加藤博一が現役引退を表明[86]
  • 10月10日 - 近鉄の野茂英雄が西武球場での対西武25回戦に先発し12奪三振を記録し、プロ野球新記録となる年間21度目の2桁奪三振を達成[87]
  • 10月13日
    • ロッテの村田兆治が川崎球場での対西武26回戦に先発し5回降雨コールドゲームで勝利投手となり、1949年若林忠志以来2人目となる40歳代での2桁勝利を記録。村田の現役最後の登板となった[88]。また、この試合後に西武の松沼博久とロッテの袴田英利がともに引退を表明[89][90]
    • 大洋の村田辰美が現役引退を表明[91]
  • 10月15日
    • オリックスの門田博光が来季からダイエーでプレーすることが決定。オリックスの井箟重慶球団代表は大阪市内のホテルで門田同席で記者会見し、門田を「自由契約にする」と発表[92]
    • ダイエーが新球団社長に田辺寿現球団本部長の就任を発表[93]
  • 10月22日 - 沢村賞の選考が行われ、近鉄の野茂英雄を選出。パ・リーグの選手の選出は初めて[94]
  • 10月24日
    • 日本シリーズが西武球場で行われ、西武が巨人を7-3で下し4連勝で2年ぶり日本一を達成。ストレート4連勝(4タテ)は西武としては前身、後の埼玉西武を通じて球団史上初で、シリーズとしては1960年の大洋以来、30年ぶり[95]
    • ヤクルトの一軍打撃コーチの高畠康真が球団社長の相馬和夫と話合い、退団が正式に決定[96]
  • 10月26日
  • 10月30日 - 正力松太郎賞の選考が都内のホテルで開かれ、西武の監督の森祇晶を選出。森の受賞は1986年以来2度目[99]

11月 編集

12月 編集

  • 12月6日 - パ・リーグ会長の堀新助は、任期の切れる今月限りで退任すると発表[105]
  • 12月7日 - ダイエーが元オリックスの門田博光の入団を発表。背番号は53[106]

誕生 編集

1月 編集

2月 編集

3月 編集

4月 編集

5月 編集

6月 編集

7月 編集

8月 編集

9月 編集

10月 編集

11月 編集

12月 編集

死去 編集

出典 編集

  1. ^ 読売新聞1990年1月11日19面「バーマ―とモーガン殿堂入り」読売新聞縮刷版1990年1月p479
  2. ^ 読売新聞1990年1月13日19面「フィルダー解雇」読売新聞縮刷版1990年1月p581
  3. ^ 読売新聞1990年1月25日19面「野球殿堂へ新たに二人 豪打・張本、剛腕・真田氏」読売新聞縮刷版1990年1月p1169
  4. ^ 読売新聞1990年3月28日18面「中日とダイエーが交換トレード」読売新聞縮刷版1990年3月p1456
  5. ^ 読売新聞1990年4月7日夕刊1面「プロ野球、公式戦開幕 雨で中止の試合も」読売新聞縮刷版1990年4月p357
  6. ^ 読売新聞1990年4月8日19面「篠塚のアーチめぐり5分中断 ヤクルト側、連盟に提訴へ」読売新聞縮刷版1990年4月p395
  7. ^ 読売新聞1990年4月11日18面「門田2ラン、1500打点 ダイエーも追撃、譲らず」読売新聞縮刷版1990年4月p552
  8. ^ 読売新聞1990年4月16日19面「中日・鈴木と西武・北村がトレード」読売新聞縮刷版1990年4月p797
  9. ^ 読売新聞1990年4月20日18面「秋山本塁打200号最速タイ記録」読売新聞縮刷版1990年4月p1014
  10. ^ 読売新聞1990年4月23日18面「近鉄・大石第二朗内野手が通算100号本塁打」読売新聞縮刷版1990年4月p1154
  11. ^ 読売新聞1990年4月24日19面「二村、岡本トレード」読売新聞縮刷版1990年4月p1217
  12. ^ 読売新聞1990年4月26日18面「柴田 ノーヒットノーラン 中日・近藤以来史上68度目」読売新聞縮刷版1990年4月p1316
  13. ^ 読売新聞1990年4月30日19面「野茂17奪三振、日本タイ 足立以来28年ぶり2人目」読売新聞縮刷版1990年4月p1513
  14. ^ 読売新聞1990年5月3日19面「史上最長5時間24分/15回制初のドロー 広島・大洋42人総力戦」読売新聞縮刷版1990年5月p99
  15. ^ 読売新聞1990年5月3日18面「平野が250犠打」読売新聞縮刷版1990年5月p98
  16. ^ 読売新聞1990年5月7日夕刊17面「計30安打、20四球 5時間10分 9回ではセの最長」読売新聞縮刷版1990年5月p221
  17. ^ 読売新聞1990年5月9日19面「落合が350号 田淵抜き史上最短」読売新聞縮刷版1990年5月p301
  18. ^ 読売新聞1990年5月10日19面「渡辺久ノーヒットノーラン逃す 延長11回小川初安打 柴田、力投報われず」読売新聞縮刷版1990年5月p353
  19. ^ 読売新聞1990年5月10日19面「ダイエー間柴が500試合登板」読売新聞縮刷版1990年5月p353
  20. ^ 読売新聞1990年5月17日19面「近鉄・新井宏昌外野手(三八)が250犠打」読売新聞縮刷版1990年5月p713
  21. ^ 読売新聞1990年5月24日1面「巨人3000勝 2リーグ制開始41年目」読売新聞縮刷版1990年5月p1051
  22. ^ 読売新聞1990年5月26日19面「先発全員四球 中日が“珍記録”」読売新聞縮刷版1990年5月p1221
  23. ^ 読売新聞1990年5月27日18面「オリックス・石嶺和彦外野手(二九)が150号」読売新聞縮刷版1990年5月p1220
  24. ^ 読売新聞1990年5月30日19面「"ミスター完投"ゆうゆうと8連勝 斎藤 2安打無四球 27人で完封」読売新聞縮刷版1990年5月p1377
  25. ^ 読売新聞1990年6月6日18面「オリックス・松永が通算150号本塁打」読売新聞縮刷版1990年6月p270
  26. ^ 読売新聞1990年6月7日18面「仰天!ドーム初認定ホーマー 怪力B砲 今度はスピーカー直撃 設計上あり得ぬはず!?」読売新聞縮刷版1990年6月p320
  27. ^ 読売新聞1990年6月7日18面「西本150勝 与田12S」読売新聞縮刷版1990年6月p321
  28. ^ 読売新聞1990年6月11日夕刊16面「オリックス・門田博光選手(四二)が350二塁打」読売新聞縮刷版1990年6月p506
  29. ^ 読売新聞1990年6月13日19面「最年長ノーヒットノーラン ライアン43歳の快挙 6度目、14奪三振で飾る」読売新聞縮刷版1990年6月p589
  30. ^ 読売新聞1990年6月13日19面「中日・落合博満内野手(三六)が通算1000打点のスピード達成」読売新聞縮刷版1990年6月p589
  31. ^ 読売新聞1990年6月16日19面「山内和↔杉本高島トレード」読売新聞縮刷版1990年6月p749
  32. ^ 読売新聞1990年6月17日18面「ダイエーの山本が通算100号」読売新聞縮刷版1990年6月p800
  33. ^ 読売新聞1990年6月18日18面「B砲『最速達成] 100号1 勇者戦の連敗『3』で止める」読売新聞縮刷版1990年6月p589
  34. ^ 「肩痛バニスター解雇」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)6月20日付朝刊、19面(スポーツ面)。
  35. ^ 読売新聞1990年6月23日19面「八重樫が100号 西村完投6勝」読売新聞縮刷版1990年6月p1121
  36. ^ 「ヤクルトに新外人」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)6月23日付朝刊、19面(スポーツ面)。
  37. ^ 読売新聞1990年6月13日19面「『ボーク判定』めぐりプッツン いったんは選手引き揚げも」読売新聞縮刷版1990年6月p1172
  38. ^ 読売新聞1990年6月26日19面「金田監督1ヵ月出場停止 球審暴行でパ・リーグ 異例の厳しい処分 制裁金100万円『アピール逸脱』」読売新聞縮刷版1990年6月p1273
  39. ^ 「交換トレードが成立 ダイエーの西、松井 広島の榊原、本村」『北海道新聞』(縮刷版) 1990年(平成2年)6月29日付朝刊、18面(スポーツ面)。
  40. ^ 「西武がチーム5002本塁打」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)6月30日付朝刊、19面(スポーツ面)。
  41. ^ 「ロッテ・林が初打席本塁打」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)6月30日付朝刊、19面(スポーツ面)。
  42. ^ 「ゴセージが入団」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)6月30日付朝刊、19面(スポーツ面)。
  43. ^ 読売新聞1990年7月1日19面「阪神・パリッシュがチーム通算5000号本塁打」読売新聞縮刷版1990年7月p19
  44. ^ 読売新聞1990年7月1日19面「ダイエー・間柴茂有投手(三八)が現役引退」読売新聞縮刷版1990年7月p19
  45. ^ 読売新聞1990年7月6日19面「阪神・田尾が通算1500安打」読売新聞縮刷版1990年7月p277
  46. ^ 読売新聞1990年7月8日18面「ダイエー・藤本博史内野手がサイクル安打」読売新聞縮刷版1990年7月p388
  47. ^ 読売新聞1990年7月22日18面「ヤクルト・池山が通算100号」読売新聞縮刷版1990年7月p1094
  48. ^ 「日本ハム・若菜嘉晴捕手(三六)が1000本安打」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)7月23日付朝刊、18面(スポーツ面)。
  49. ^ 「広島・北別府学(33)が1500奪三振」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)7月31日付朝刊、19面(スポーツ面)。
  50. ^ 読売新聞1990年8月5日18面「大洋・田代が1500試合出場」読売新聞縮刷版1990年8月p202
  51. ^ 読売新聞1990年8月6日夕刊16面「近鉄・野茂がパ新のシーズン13度目の2ケタ奪三振」読売新聞縮刷版1990年8月p240
  52. ^ 読売新聞1990年8月6日夕刊16面「西武連敗ストップ 清原、最年少150号 粘投、渡辺久13勝目」読売新聞縮刷版1990年8月p240
  53. ^ 読売新聞1990年8月6日夕刊17面「大洋・新浦が500試合登板」読売新聞縮刷版1990年8月p241
  54. ^ 読売新聞1990年8月8日19面「巨人・加藤が1500奪三振」読売新聞縮刷版1990年8月p317
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  56. ^ 読売新聞1990年8月11日19面「ドーム初の試合中止 中日、台風で上京できず」読売新聞縮刷版1990年8月p449
  57. ^ 読売新聞1990年8月14日19面「オリックス、神戸移転を正式発表」読売新聞縮刷版1990年8月p565
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  59. ^ 読売新聞1990年8月22日17面「大島、最年長2千本安打 39年10か月 最多2290試合」読売新聞縮刷版1990年8月p935
  60. ^ 読売新聞1990年8月23日18面「小松“我慢”の100勝 チーム一丸、与田リレー」読売新聞縮刷版1990年8月p988
  61. ^ 読売新聞1990年8月24日18面「池山サイクル安打」読売新聞縮刷版1990年8月p1036
  62. ^ 読売新聞1990年8月24日19面「野茂3度目正直日本新 5試合連続2ケタ奪三振」読売新聞縮刷版1990年8月p1085
  63. ^ 読売新聞1990年8月24日19面「村田『600試合目』完封で飾る 西武1年ぶり屈辱 ディアズ千金22号」読売新聞縮刷版1990年8月p1085
  64. ^ 読売新聞1990年8月28日19面「パリッシュきょう退団へ」読売新聞縮刷版1990年8月p1237
  65. ^ 読売新聞1990年8月29日19面「パリッシュ、30日帰国」読売新聞縮刷版1990年8月p1291
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  67. ^ 読売新聞1990年9月2日19面「巨人・川相が犠打56のプロ野球タイ記録」読売新聞縮刷版1990年9月p67
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  69. ^ 読売新聞1990年9月6日18面「上田監督、今季限り退団 神戸移転、愛称変更を機に」読売新聞縮刷版1990年9月p280
  70. ^ 読売新聞1990年9月6日19面「阪神、1イニング最多連続三塁打3のプロタイ記録」読売新聞縮刷版1990年9月p281
  71. ^ 読売新聞1990年9月8日19面「ドラフト対象選手 練習生としての採用に罰則も」読売新聞縮刷版1990年9月p381
  72. ^ 読売新聞1990年9月9日1面「巨人 セ・リーグ2連覇 通算35度目 超スピード決定」読売新聞縮刷版1990年9月p411
  73. ^ 読売新聞1990年9月9日19面「上田監督1000勝」読売新聞縮刷版1990年9月p469
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  75. ^ 読売新聞1990年9月12日30面「スタンド火事!ナゴヤ球場、1000人が避難」読売新聞縮刷版1990年9月p602
  76. ^ 読売新聞1990年9月12日19面「阪神・猪俣が連続打席無安打を79でストップ」読売新聞縮刷版1990年9月p591
  77. ^ 読売新聞1990年9月13日19面「西武・山根が引退表明」読売新聞縮刷版1990年9月p647
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  80. ^ 読売新聞1990年9月26日17面「村田が引退表明 40歳『体力に限界』マサカリ投法 30日に見納め」読売新聞縮刷版1990年9月p1301
  81. ^ 読売新聞1990年9月27日19面「広永がプロ野球通算6万号本塁打」読売新聞縮刷版1990年9月p1363
  82. ^ 読売新聞1990年9月28日19面「野茂20度目二桁奪三振 プロタイ 江夏に並ぶ 26試合目 最速達成!」読売新聞縮刷版1990年9月p1419
  83. ^ 読売新聞1990年9月30日17面「『明るいオリックスに』土井監督就任発表」読売新聞縮刷版1990年9月p1473
  84. ^ 読売新聞1990年10月3日17面「西武・鹿取が500試合登板」読売新聞縮刷版1990年p145
  85. ^ 読売新聞1990年10月6日17面「新愛称『青い波』戸惑う選手たち」読売新聞縮刷版1990年p309
  86. ^ 読売新聞1990年10月7日19面「大洋・加藤が引退 サヨナラ試合は13日に」読売新聞縮刷版1990年p359
  87. ^ 読売新聞1990年10月11日19面「Mr.K 野茂2ケタ21度目日本新 18勝再び最多タイ」読売新聞縮刷版1990年p547
  88. ^ 読売新聞1990年10月14日21面「村田さすが!お別れ完封 41年ぶり『40代2ケタ勝利』で引退に花」読売新聞縮刷版1990年p705
  89. ^ 「松沼が引退表明」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)10月14日付朝刊、21面(スポーツ面)。
  90. ^ 「ロッテ・袴田英利捕手(三五)も引退」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)10月14日付朝刊、21面(スポーツ面)。
  91. ^ 読売新聞1990年10月14日21面「大洋・村田辰美投手(三八)も引退表明」読売新聞縮刷版1990年p705
  92. ^ 「やはり心はホークス 移籍の門田会見」『北海道新聞』(縮刷版) 1990年(平成2年)10月16日付朝刊、17面(スポーツ面)。
  93. ^ 「新球団社長に田辺氏 ダイエー」『北海道新聞』(縮刷版) 1990年(平成2年)10月16日付朝刊、17面(スポーツ面)。
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  95. ^ 読売新聞1990年10月25日1面「西武2年ぶりV 日本シリーズ」読売新聞縮刷版1990年p1291
  96. ^ 読売新聞1990年10月25日19面「ヤクルト・高畠コーチが退団」読売新聞縮刷版1990年p1309
  97. ^ 読売新聞1990年10月27日19面「MVPも新人王も野茂のもの しめて"8冠" セは斎藤と与田」読売新聞縮刷版1990年p1417
  98. ^ 「阪神とダイエーが4対5のトレード」『北海道新聞』(縮刷版) 1990年(平成2年)10月27日付朝刊、18面(スポーツ面)。
  99. ^ 読売新聞1990年10月31日19面「『正力松太郎賞』森・西武監督に 3人目の2度受賞 『無傷日本一』評価」読売新聞縮刷版1990年10月p1631
  100. ^ 読売新聞1990年11月14日19面「穴吹氏がダイエー入り」読売新聞縮刷版1990年11月p687
  101. ^ 読売新聞1990年11月17日19面「バークレオは広島へ」読売新聞縮刷版1990年11月p856
  102. ^ 読売新聞1990年11月23日19面「高橋慶ー遠山のトレードが成立」読売新聞縮刷版1990年11月p1151
  103. ^ 読売新聞1990年11月24日夕刊22面「巨人、元木を単独指名 ドラフト会議 小池はロッテ」読売新聞縮刷版1990年11月p1227
  104. ^ 読売新聞1990年11月27日19面「"サッシー"酒井引退」読売新聞縮刷版1990年11月p1351
  105. ^ 読売新聞1990年12月7日19面「堀パ・リーグ会長の辞任劇 "裁定不信"に屈す」読売新聞縮刷版1990年12月p339
  106. ^ 「門田 古巣ダイエーに復帰 年俸1億3千万円 背番号は「53」 30本塁打突破に自信」『北海道新聞』(縮刷版) 1990年(平成2年)12月8日付朝刊、19面(スポーツ面)。