矢野 和哉(やの かずや、1962年12月10日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手投手)、高校野球指導者。左投左打。

矢野 和哉
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市
生年月日 (1962-12-10) 1962年12月10日(59歳)
身長
体重
176 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1985年 ドラフト4位
初出場 NPB/1986年4月24日
CPBL/1993年3月14日
最終出場 NPB/1990年10月9日
CPBL/1993年8月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

来歴・人物編集

報徳学園高では、エースとして1980年夏の甲子園県予選決勝に進み、滝川高石本貴昭と投げ合うが敗退。この試合では1年下のチームメート、金村義明のリリーフを仰ぐ。

高校卒業後は、社会人野球神戸製鋼に入社。1981年都市対抗野球1984年都市対抗野球に出場している[1]

1985年プロ野球ドラフト会議ヤクルトスワローズから4位指名を受け入団。

1986年は新人ながら一軍初登板を果たすと、先発陣に喰い込み2勝をあげる。

1987年には自己最多の6勝をあげる。

1989年まで先発として活躍する。

1990年からはリリーフとなるが故障もあって低迷。

1992年オフに戦力外通告を受け退団。

1993年は、台湾中華職業棒球大聯盟時報イーグルスでプレー。同年オフに現役を引退した。

1994年から2004年までヤクルトのスカウトとして、主に四国・関東を担当。岩村明憲宮出隆自など、後に打線の中核を担う選手を担当。自身は投手でありながら、野手の発掘に実績があった。

2005年から球団販売促進部に異動、4年間務める。

その後株式会社パピーズアスリートを起業し取締役に就任、少年野球教室とスポーツ社会貢献事業に関わるが、2010年11月に廃業している。

2006年6月埼玉県三郷市松永浩美ベースボールアカデミー」の投手コーチに就任して小・中学生を指導。のちに松永が塾長に就任した「夢グループ野球塾 川越校」の投手コーチも務めた[2]

2011年特定非営利活動法人FIELD OF DREAMS理事長に就任。

2016年、特定非営利法人の理事長を努めながらも東洋大学附属牛久高等学校の硬式野球部コーチに就任。

2018年1月には監督に就任した[3]

2022年3月末をもって監督を退任することが発表された。

プレースタイル編集

左スリークォーター「ストライクとボールが、はっきりわかるので選ばれると苦投する」ストレートは平均135キロ程度。カーブ、スライダー、フォーク、シュート。コントロールはよくなかった[4]

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1986 ヤクルト 34 13 0 0 0 2 2 0 -- .500 395 91.1 85 17 33 1 4 53 1 0 49 46 4.53 1.29
1987 28 12 0 0 0 6 6 0 -- .500 377 86.2 93 12 30 7 2 56 6 0 50 49 5.09 1.42
1988 18 13 1 1 0 1 7 0 -- .125 289 62.0 85 9 23 2 2 28 2 0 49 45 6.53 1.74
1989 22 16 5 1 0 5 9 0 -- .357 445 109.1 102 16 27 1 2 51 5 0 41 39 3.21 1.18
1990 27 2 0 0 0 0 3 0 -- .000 163 38.1 38 7 15 1 0 25 1 0 19 17 3.99 1.38
1993 時報 7 2 1 0 0 1 1 0 -- .500 71 17.1 14 0 8 0 1 6 1 1 8 6 3.12 1.27
NPB:5年 129 56 6 2 0 14 27 0 -- .341 1669 387.2 403 61 128 12 10 213 15 0 208 196 4.55 1.37
CPBL:1年 7 2 1 0 0 1 1 0 -- .500 71 17.1 14 0 8 0 1 6 1 1 8 6 3.12 1.27

記録編集

NPB
  • 初登板:1986年4月24日、対読売ジャイアンツ5回戦(明治神宮野球場)、3回表より2番手で救援登板、1/3回無失点
  • 初先発登板:1986年5月19日、対読売ジャイアンツ8回戦(後楽園球場)、8回1失点で勝敗つかず
  • 初勝利・初先発勝利:1986年7月29日、対広島東洋カープ16回戦(明治神宮野球場)、7回1/3無失点
  • 初完投・初完封:1988年4月25日、対読売ジャイアンツ4回戦(明治神宮野球場)

背番号編集

  • 12 (1986年 - 1992年)
  • 34 (1993年)

脚注編集

  1. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  2. ^ 指導者案内”. 夢グループ 野球塾 川越校 公式ページ. 夢グループ. 2013年4月7日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2020年9月28日閲覧。
  3. ^ 清水岳志 (2020年7月31日). “元プロ投手の監督が「甲子園中止」でも野球部員に練習を続けさせたワケ 野球の目的は「甲子園」だけじゃない”. PRESIDENT Online: p. 3. https://president.jp/articles/-/37523?page=3 2020年9月28日閲覧。 
  4. ^ 八重樫幸雄が語るヤクルト80年代投手「能力が菅野より上と思うのは…」|プロ野球|集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva” (日本語). 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva. 2021年8月4日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集