松殿 忠房(まつどの ただふさ)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿関白松殿基房の四男。官位正二位大納言

 
松殿忠房
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 建久4年(1193年
死没 文永10年3月20日1273年4月9日
官位 正二位大納言
主君 土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇
氏族 松殿家
父母 父:松殿基房、母:堀川局藤原行雅の娘)
兄弟 藤原隆忠藤原家房藤原伊子師家、仁慶、行意実尊、承円、忠房、壽子、兼寛、道弘、聖尊、尊誉、尊澄、良観、一条高能室、八条院女房西御方
持明院保家の娘、藤原重隆の娘
藤原雅隆の娘
良嗣兼嗣兼教、行仁、良基、源忠、承教
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経歴編集

建仁2年12月(1203年1月)元服と同従五位上に叙される。近江権介右中将歴任のち、建永2年(1207年従三位に昇る。建暦元年(1211年権中納言、翌年に中納言、建保3年12月(1216年1月)権大納言に昇る。

元仁元年12月25日(1225年1月)には大納言に昇った。この時点で三条家西園寺家大炊御門家等の清華家当主達とは昇進速度はほぼ同じだった。しかし、父・基房の死後、三条実親西園寺実氏土御門定通大炊御門家嗣徳大寺実基が次々忠房を追い越して大臣に昇進する(彼らのうち、実基以外は権大納言から正官を経ないで昇進している)。九条道家一条実経父子の失脚時には摂関の候補者にもなった[1]が、就任は叶わなかった[2]

大納言に22年留まったまま宝治元年(1247年)に出家。文永10年(1273年)に薨去。享年81。

官歴編集

系譜編集

脚注編集

  1. ^ 『民経記』寛元4年9月25日条。
  2. ^ 樋口健太郎『中世摂関家の家と権力』(校倉書房、2011年) ISBN 978-4-7517-4280-8 P382-383。
先代
松殿師家
松殿家当主
3代
次代
松殿良嗣