林 稲麻呂(はやし の いなまろ、生没年不詳)は、奈良時代官人忌寸官位従五位下東宮学士

経歴 編集

桓武朝初頭の天応元年(781年従五位下に叙せられ、翌天応2年(782年東宮学士造東大寺次官に任ぜられる。その後、東宮学士と造東大寺次官を務める一方で、美作介備前介と地方官を兼ねるが、延暦4年(785年)に藤原種継暗殺事件が発生し、東宮学士として仕えていた早良親王春宮を廃されると、稲麻呂も連座して伊豆国への流罪に処された。

桓武朝末の延暦25年(806年)藤原種継暗殺事件で処罰された者に対する恩赦が行われ、稲麻呂は外従五位下に復されている(この時点での生死は不明)。

官歴 編集

六国史』による。

系譜 編集

  • 父:不詳
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:林真継[2]
    • 男子:林真永[3]

脚注 編集

  1. ^ 『日本紀略』
  2. ^ 鈴木真年『百家系図稿』巻9,東漢直
  3. ^ 宝賀[1986: 1486]

参考文献 編集