柏庭 清祖(はくてい せいそ)は、室町時代前期の足利将軍家の一族。第3代将軍・足利義満の庶兄か庶弟に当たる。

 
柏庭 清祖
時代 室町時代前期
生誕 不明
死没 応永5年6月28日1398年8月10日
諡号 仏運禅師
氏族 足利氏足利将軍家
父母 父:足利義詮、母:不明
兄弟 千寿王義満柏庭清祖満詮廷用宗器宝鏡寺殿
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生涯 編集

足利義満の庶兄[註 1]と庶弟[註 2]の両説があり、庶兄の場合は4歳上、庶弟の場合は1歳下になる。清祖は足利義詮臨席の下に剃髪して禅僧となり、青山慈永の法を嗣ぎ、渋川幸子の塔所・建仁寺大統庵に住んだ[1]。後にこの中に嘉陰軒を創って隠棲した。応永5年(1398年)6月28日に建仁寺嘉隠軒で死去。享年は45か40[2]

脚注 編集

註釈
  1. ^ 仲芳の仏事法語には「累代覇王之長子、四朝帝師之真孫」「公は乃ち其家の長子」とある。惟肖の賛には「天山之威金石猶沮す、愛兄之情尽す能わず」とある。『祇園社執行日記』には「将軍舎兄僧御母儀」とある。
  2. ^ 延宝伝燈録
出典
  1. ^ 臼井信義 著『人物叢書‐足利義満』吉川弘文館、1989年、p.227
  2. ^ 臼井信義 著『人物叢書‐足利義満』吉川弘文館、1989年、p.226

参考文献 編集

書籍