栃木功
栃木 功(とちぎ いさお、1892年(明治25年)5月11日[1] - 1961年(昭和36年)3月2日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
栃木 功 | |
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生誕 |
1892年5月11日 日本 北海道 |
死没 | 1961年3月2日(68歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1892年(明治25年)に北海道で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期卒業[1]。1939年(昭和14年)8月1日に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、12月14日に第10師団司令部附となり[2]、1940年(昭和15年)8月に歩兵第46連隊長に就任し[2][3]、1943年(昭和18年)8月に舞鶴要塞司令官に転じた[3]。
1944年(昭和19年)5月8日に中部軍司令部附となり[4]、6月21日に歩兵第76旅団長(第14方面軍・第35軍・第100師団)に就任し[1]、ミンダナオ島に出征[1]。アメリカ軍の攻勢に対し、果敢に抵抗した[1]。同年8月1日に陸軍少将に進級[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。