メインメニューを開く

中部軍(ちゅうぶぐん)は、大日本帝国陸軍の一つ。1935年昭和10年)8月中部防衛司令部として発足し中部近畿地方を管轄区域とする中部軍司令部が軍管区内の軍隊を指揮・統率した。1945年(昭和20年)2月1日第15方面軍の編成により廃止された。

中部軍
創設 1930年昭和10年)8月
(中部防衛司令部)
廃止 1945年(昭和20年)2月1日
再編成 1940年(昭和15年)8月
(中部軍)
所属政体 日本の旗大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位
所在地 日本の旗 日本
最終上級単位 防衛総司令部
最終位置 大阪府大阪市
主な戦歴 第二次世界大戦
テンプレートを表示

沿革編集

1935年(昭和10年)8月、内地北海道および樺太を除く)を東部(東日本)・中部(中部近畿)・西部(中国四国九州)の三つの区域に分け、それぞれの区域に防空計画官衙としての防衛司令部が新設され、東部防衛司令部は東京警備司令部が兼ね、中部防衛司令部は第4師団司令部が、西部防衛司令部は第12師団司令部が兼ねた。

そして1937年(昭和12年)12月に防衛司令部の編制を官衙から軍隊に改め、防衛(防空のこと)および警備に関し管区内の軍隊を指揮し官衙・学校を区処し得るものとし、さらに1940年(昭和15年)8月には東部・中部・西部の各防衛司令部を東部・中部・西部軍司令部に改称し、指揮のみでなく統率もするものとした。また同年12月新たに樺太北海道青森県岩手県秋田県山形県を管轄する北部軍司令部を設けた。

なお、1941年(昭和16年)7月、これらの軍司令部を広域防衛の見地から一元指揮する為に防衛総司令部を置き、1944年(昭和19年)に指揮のみでなく統率もするものとしたが、1945年(昭和20年)には、第1総軍第2総軍に改編し完全な統率機関とした。(ただし、北部軍については1943年(昭和18年)北方軍に、1944年第5方面軍に改編、第1総軍や第2総軍とは別の体系とした。)

司令部庁舎は旧大阪市立博物館で、現存している。

中部軍の人事編集

歴代司令官編集

中部防衛司令官
  • (兼)中島今朝吾 中将:1937年(昭和12年)8月2日 -
  • 蓮沼蕃 中将:1937年(昭和12年)8月26日 -
  • 谷寿夫 中将:1937年(昭和12年)12月28日 -
  • 園部和一郎 中将:1939年(昭和14年)8月1日 -
  • 岩松義雄 中将:1940年(昭和15年)3月9日 - 8月1日
中部軍司令官
  • 岩松義雄 中将:1940年(昭和15年)8月1日 -
  • 藤井洋治 中将:1941年(昭和16年)6月20日 -
  • 後宮淳 大将:1942年(昭和17年)8月17日 -
  • 飯田祥二郎 中将:1944年(昭和19年)2月21日 -
  • 河辺正三 中将:1944年(昭和19年)12月1日 - 1945年(昭和20年)2月1日

歴代参謀長編集

中部防衛参謀長
  • 渡辺正夫 少将:1937年(昭和12年)8月2日 -
  • 加藤怜三 少将:1938年(昭和13年)7月15日 -
  • 青木成一 少将:1940年(昭和15年)3月15日 - 8月1日
中部軍参謀長
  • 青木成一 少将:1940年(昭和15年)8月1日 -
  • 末藤知文 少将:1941年(昭和16年)8月25日 -
  • 国武三千雄 少将:1942年(昭和17年)12月2日 - 1945年(昭和20年)2月1日

参考文献編集

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。