梶原景清

梶原氏3代。子に梶原朝景

梶原 景清 (かじわら かげきよ、生没年不詳)は、平安時代相模国豪族通称五郎鎌倉景清とも[1]梶原景時の父。

人物 編集

梶原氏3代目。『三浦系図』によると鎌倉景通(大庭景通)の孫である梶原景長の子[2]。『尊卑分脈』では景長が景時の父とされる(景清と景長が同一人物である説も)[3]

系譜 編集

脚注 編集

  1. ^ 『曽我物語注解』 1986, p. 199.
  2. ^ 『平治物語注解』 1981, p. 325.
  3. ^ 『茨城の郷土史-第一巻』 1980, p. 101.
  4. ^ 早馬神社縁起』『奥羽観蹟聞老志』『封内風土記』『封内名跡志』『風土記御用書出』による。また梶原神社早馬神社には鎌倉初期の懸仏が祀られている。ただし『吾妻鏡』などの同時代史料、『尊卑分脈』などの系図類では確認できない。

参考文献 編集

  • 『平治物語注解』(1981年、続群書類従完成会
  • 『茨城の郷土史-第一巻』(1980年、常陽新聞社出版局)
  • 『曽我物語注解』(1986年、続群書類従完成会)