楠美津香

日本のコメディアン、放送作家 (1962-)

楠 美津香(くすのき みつか、1962年3月24日[1] - )は、日本女優ピン芸人東京都出身[1]。夫は、俳優コメディアンモロ師岡[1]。女性ひとりコントのパイオニア的存在[2]で、「ひとりコントの女王」の異名を取る[3]

来歴 編集

元々は女優志望だったが、横浜放送映画専門学院(後の日本映画学校)で内海桂子・好江の漫才教室でお笑いに目覚め[2]、級友と女性コントコンビ「ピックルス」を結成。卒業後の1982年にデビュー。『お笑いスター誕生!!』で9週勝ち抜きを果たした[2]が、1984年頃に解散。その後、コントコンビ「コントきゃんでいず」を結成するも短期間で解散。1986年1月、コントコンビ「ふらみんご」を結成。1987年10月には、第2回NHK新人演芸コンクール演芸部門最優秀賞を受賞したが、1989年頃に解散した。

その後は放送作家やコント作家として活動[2]していたが、モロ師岡が演じるひとりコントのライブを見て、舞台復活を決意[4]。1992年よりひとりコントの単独ライブを始め[2]、演芸場にも出演した。また、1992年夏にモロ師岡と結婚[4]した。

1993年4月からは一年間、『たけし・逸見の平成教育委員会』(フジテレビ)にレギュラー出演して知名度を高めた[5]

出産、育児の3年間を経て、1999年にライブを再開[2]。2000年からはシェイクスピアの戯曲を現代の日本に翻案(本人は「超訳」と称している[6])し、講談調の一人芝居にアレンジ[6]した「ひとりシェイクスピア」シリーズの舞台を続けている。

楠本人は自らの芸風を、「演劇にも演芸にもなじまない立場。あえて、『一人称文学の世界』と称しています」と話している[7]。また、ひとりコントの舞台は、脚色、演出も一人で行っている。

ひとりコント 編集

  • 東京美人百景
    • 1992年の舞台復帰以後続けたシリーズ。東京に生きる女性たちの実像、虚像を、鋭い観察眼と好奇心に満ちた批判精神で活写した[4][5]。「祖師谷大蔵のイケイケの人」、「上石神井のバイリンギャル」等がある。「門前仲町八千草のママ・田園調布後援会夫人」で1994年1月、国立演芸場花形新人大賞特別賞を受賞した[5]
  • プラチナプレイガール
    • 出産、育児後、舞台に復活した1999年より始めたシリーズ。
  • ひとりシェイクスピア
    • 2000年より始めた、楠のライフワーク[3]。シェイクスピアの戯曲を現代の日本に翻案し、多くの登場人物を一人で演じている。

出演 編集

バラエティ 編集

テレビドラマ 編集

ラジオ 編集

舞台 編集

受賞歴 編集

  • 第2回NHK新人演芸コンクール演芸部門最優秀賞(1987年10月) ふらみんご時
  • 国立演芸場 花形演芸会銀賞(1992年)
  • 国立演芸場 花形新人大賞 特別賞(1994年)[1]

著書 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d 『楠美津香』人物情報 - NAVER人物検索[リンク切れ]
  2. ^ a b c d e f 「【笑芸繁盛】コント 楠美津香 演芸・演劇の“枠”超えて」産経新聞東京夕刊、2001年9月18日、6頁。
  3. ^ a b 神奈川芸術文化財団 (2006年). “『演劇部門特集ページ 楠美津香 ひとりシェイクスピア』”. 2012年2月11日閲覧。
  4. ^ a b c 「[らいぶ笑](2)楠美津香 1人コントで異彩放つ 都会の女性を活写」読売新聞東京夕刊、1993年1月16日、10頁。
  5. ^ a b c d e 「ひとりコントで大忙し 楠美津香、28日にジャンジャンでライブ」産経新聞東京夕刊、1994年4月16日、6頁。
  6. ^ a b 「エネルギッシュな舞台をどうぞ*シェークスピア講談調で*楠さんが一人芝居*17日旭川、18日には鷹栖」北海道新聞朝刊旭川版、2004年7月14日、29頁。
  7. ^ 「一人シェークスピア、燃焼中 演劇でも演芸でもない 楠美津香、集中・迫力の20作」朝日新聞 東京夕刊、11頁、夕刊be金曜5面
  8. ^ 「コントと演劇を融合した舞台 楠美津香が脚本 あすから東京・渋谷で上演」読売新聞東京夕刊、1997年9月18日、9頁。

外部リンク 編集