日本映画大学
川崎市にある私立大学
(日本映画学校から転送)
日本映画大学(にほんえいがだいがく、英語: Japan Institute of the Moving Image)は、神奈川県川崎市麻生区万福寺一丁目16-30に本部を置く日本の私立大学。1975年創立、2011年大学設置。
日本映画大学 | |
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大学設置 | 2011年 |
創立 | 1975年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人神奈川映像学園 |
本部所在地 |
神奈川県川崎市麻生区万福寺一丁目16-30 北緯35度36分18秒 東経139度30分27.1秒 / 北緯35.60500度 東経139.507528度座標: 北緯35度36分18秒 東経139度30分27.1秒 / 北緯35.60500度 東経139.507528度 |
キャンパス |
新百合ヶ丘(川崎市麻生区) 白山(川崎市麻生区) |
学部 | 映画学部 |
ウェブサイト | https://www.eiga.ac.jp/ |
概観
編集映画監督・今村昌平が設立した日本映画学校を発展改組する形で2011年に開学した。日本では初となる映画学部のみの単科大学である。
理念には、今村昌平が遺した言葉が使用されている[1]。
前身の日本映画学校時代から映画監督、脚本家、俳優を始めとした映画スタッフを数多く輩出している。映画学校時代の特徴的なカリキュラムとして、3年制である映像科では理念を反映させた「人間研究」という科目を1年次に配し、2年制である俳優科はカリキュラムに「漫才」が取り入れられていたことが挙げられる。漫才の講師は内海桂子・好江が担当していたことから、お笑いタレントも数多く輩出している(内海桂子・好江が所属しているマセキ芸能社に所属する人が多い)。
沿革
編集- 1975年(昭和50年)4月 - 今村昌平が横浜駅東口のスカイビル(初代)内に、横浜放送映画専門学院(2年制・各種学校)を開校[2]。
- 1984年(昭和59年)4月 - 留学生の募集を開始。
- 1985年(昭和60年)11月 - 学校法人神奈川映像学園設立。横浜放送映画専門学院を日本映画学校(3年制・専門学校)に改称・改組(神奈川県知事より認可)。
- 1986年(昭和61年)4月 - 川崎市、小田急電鉄、映画各社等の協力により、川崎市麻生区新百合ヶ丘駅北口へ移転。今村昌平が学校法人神奈川映像学園理事長・日本映画学校校長となる。映像科・俳優科を設置。
- 1992年(平成4年)4月 - 日本映画学校校長に石堂淑朗が就任。
- 1996年(平成8年)4月 - 日本映画学校校長に佐藤忠男が就任。
- 2004年(平成16年)11月 - 学校法人神奈川映像学園理事長に佐藤忠男が就任(日本映画学校校長と兼任となる)。
- 2007年(平成19年)10月 - 学校法人神奈川映像学園理事長に佐々木史朗が就任。
- 2010年(平成22年)10月 - 文部科学省より日本映画大学設置認可。
- 2011年(平成23年)4月 - 日本映画大学が発足。日本映画学校は新入生の受け入れを停止(映画学部映画学科)。
- 2012年(平成24年)3月 - 日本映画学校 俳優科を廃止。
- 2013年(平成25年)3月 - 日本映画学校 映像科を廃止し、日本映画学校は閉校。
基礎データ
編集所在地
編集- 新百合ヶ丘キャンパス(神奈川県川崎市麻生区万福寺1-16-30 元日本映画学校校舎、北緯35度36分18.0秒 東経139度30分27.1秒)
- 白山キャンパス(神奈川県川崎市麻生区白山2-1-1 映画撮影スタジオ・元川崎市立白山小学校校舎、北緯35度35分29.4秒 東経139度30分44.1秒)
教育および研究
編集学部
編集- 映画学部
- 映画学科(以下2018年度からの新カリキュラムに基づく「系」と「コース」)
- 演出系
- 演出コース
- 身体表現・俳優コース
- ドキュメンタリーコース
- 技術系
- 撮影照明コース
- 録音コース
- 編集コース
- 文章系
- 脚本コース
- 文芸コース
- 新系
- マネジメントコース
- VFX特殊撮影コース(旧称:メディアアートコース)
- 演出系
- 映画学科(以下2018年度からの新カリキュラムに基づく「系」と「コース」)
- かつての組織
- 映画学部
- 映画学科(特記のない限り、開学時からのカリキュラムに基づいた「系」と「コース」)
- 創作系
- 脚本演出コース
- 撮影照明コース
- 録音コース
- 編集コース
- ドキュメンタリーコース
- 理論系
- 理論系Aコース(2011年度入学者)
- 理論系Bコース(2011年度入学者)
- 理論コース(2012年度入学者。上記の2コースを統合した)
- 映画・映像文化コース(2013年度入学者より受け入れ)
- 身体表現・俳優コース(2016年度入学生より受け入れ/開設前は「身体表現(俳優)コース」と告知された)
- 創作系
- 映画学科(特記のない限り、開学時からのカリキュラムに基づいた「系」と「コース」)
なお、日本映画大学では、2年次前半までは全員同一のカリキュラムとなり、以降は6コースに分かれて履修する。
日本映画学校時代
編集- 映像科(3年制)
- 2年次より下記のコースに分かれていた。また、他コースとの合同授業やゼミナール形式で開講される科目もあった。
- 映画演出コース
- 脚本演出コース
- 映像ジャーナルコース
- 撮影・照明コース
- 映像編集コース
- 音響クリエイターコース
- 俳優科(2年制)
関係者一覧
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教職員
編集学長
編集学科長
編集- 緒方明(3代学科長)
教授
編集※50音順
准教授
編集※50音順
特任・客員教授
編集卒業生
編集- 池田直人(レインボー (お笑いコンビ))
日本映画学校時代
編集教職員
編集- 映像科1年
- 担任
- 講師
ほか
- 映像科2・3年
卒業生・在校生
編集横浜スカイビルに所在していた時(横浜放送映画専門学院)の卒業生は横浜○期、日本映画学校の卒業生は映画学校○期と呼称している。
監督・演出
編集- 川口浩史(映画学校5期)
- 小沼雄一(映画学校7期)
- 黒川竹春(映画学校8期)
- 窪田将治(映画学校9期)
- 菱沼康介(映画学校9期)
- 新藤風(映画学校10期)
- 草野陽花(映画学校11期)
- 林田賢太(映画学校11期)
- 松江哲明(映画学校11期)
- 李相日(映画学校11期)
- 島田伊智郎(映画学校13期)
- ジョン・ヒジリ(映画学校13期)
- 今田哲史(映画学校15期)
- 木村茂之(映画学校16期)
- 寺田明人(映画学校16期)
- 福田陽平(映画学校16期)
- 松林要樹(映画学校16期)
- 小野さやか(映画学校17期)
- 藤村享平(映画学校17期)
- 中井邦彦(映画学校18期)
- 岩永洋(映画学校19期)
- 石田秀範
- 市野龍一
- 小川王子
脚本家・作家
編集プロデューサー
編集撮影・照明
編集録音・音響
編集編集
編集スクリプター
編集美術・大道具・塗装
編集VFX
編集- 松本肇(ビジュアルエフェクト スーパーバイザー)
俳優
編集お笑いタレント
編集- ピックルス(横浜6期)
- 象さんのポット(横浜7期)
- ウッチャンナンチャン…内村光良・南原清隆(横浜9期)
- 出川哲朗(横浜9期)
- バカリズム(映画学校9期)
- ファンキーモンキークリニック(映画学校7期)
- 古坂大魔王(映画学校7期※中退)
- 狩野英孝
- 平子祐希(アルコ&ピース)
- こばやしけん太
- JJポリマー
- 磁石
- ニッチェ
- 渡辺ラオウ
- 与座よしあき(元ホーム・チーム)
- 檜山豊(元ホーム・チーム)
- 桐野安生
その他
編集- 馮智英(歌手)(横浜1期)
- 小島康史(大学教授)(日本映画学校1期)
- 出町光識(映画配給・プロデューサー)(映画学校1期)
- 菅原敬太(漫画家)(映画学校5期)
- 剣持光(ものまね芸人・作家・昭和サブカルチャー研究家)(映画学校10期)
- いっこく堂(腹話術師)
- 榎本俊二(漫画家)
- 山内麻里子(ミュージシャン)
- 山辺健史(ノンフィクションライター)
- 三沢伸(アニメーション監督・アニメーション演出家)
- 梅澤淳稔(アニメーション監督・アニメーションプロデューサー)
- 芝田浩樹(アニメーション監督)
- 柳家やなぎ(落語家)
- 軸原ヨウスケ(グラフィックデザイナー)
- ようへい(元落語家、ラジオパーソナリティ)中退
- 藤本理子(タレント)
劇場公開された卒業制作作品
編集日本映画学校時代
編集関係機関等
編集麻生区6大学公学協働ネットワーク
編集学術交流協定締結校
編集包括的連携協定
編集- 昭和音楽大学
地方自治体等
編集- 一般社団法人白山まちづくり協議会
関連項目
編集外部リンク
編集学校法人神奈川映像学園
脚注
編集- ^ 日本映画大学・建学の理念と精神
- ^ “ウンナン、出川、ニッチェ…日本映画学校からお笑い芸人が多数出た理由とは?”. リアルライブ (2019年11月16日). 2021年5月26日閲覧。
- ^ “「日本映画学校OB牧場」今村ワールドの仲間たち”. 株式会社シネマネストJAPAN 【第14回・平田弘次】. 2014年4月30日閲覧。