横地氏(よこちし)は日本氏族の一つである。源義家の庶子(母親は相良氏)とされる横地太郎家長(家永)を初代とする。本貫を遠江国城飼郡横地(現在の静岡県菊川市)とし、鎌倉時代御家人室町時代奉公衆であったが、文明8年(1476年)に今川義忠によって滅ぼされ離散した[1][2][3]

子孫

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武田氏に仕えていた横地元次の子孫は武田氏没落後徳川氏に仕え、旗本になった[4]

後北条氏に仕え、小田原征伐における八王子城の守将として知られる横地監物の子孫は彦根藩重臣(横地修理家)になった。

一族の横地秀綱は文明3年(1471年)、尾張国愛知郡植田(現在の名古屋市天白区)に移り、植田城を築城[5]。子孫は織田氏などに仕え、8代・権蔵秀住からは郷士となった。

脚注

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  1. ^ 平凡社「日本歴史地名大系」『横地』 - コトバンク
  2. ^ 菊川城館遺跡群 横地氏城館跡/菊川市内の指定文化財”. 菊川市. 2024年5月30日閲覧。
  3. ^ 勝間田氏 (今川氏と対決した豪族)”. 一般社団法人まきのはら活性化センター事務局. 2024年5月30日閲覧。
  4. ^ 寛政重修諸家譜』 巻千百十
  5. ^ 植田八幡宮について”. 2024年5月30日閲覧。

関連項目

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