檜前舎人 建麻呂(ひのくまのとねり の たけまろ、生没年不詳)は、奈良時代の人物。上総国海上郡の人物。。氏姓はのち上総宿禰官位従五位下隼人正

出自

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檜前舎人部は宣化天皇の名代の部で、天皇の宮、「檜前廬入野宮」に由来する。天皇の皇宮に宿侍させるために置かれた舎人で、金刺舎人他田舎人同様、遠江国信濃国以東の東国に多く見られる。『続日本後紀承和7年12月(740年1月)には、武蔵国加美郡の人檜前舎人直由加麻呂の男女10人を平安左京の6条に貫附したとあり、由加麻呂は土師氏の出であると記されている[1]

経歴

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藤原仲麻呂の乱において功労があったらしく、称徳朝天平神護元年(765年)正月に同じ正六位上葛井道依とともに、従五位下に昇叙している。その後、神護景雲元年(767年)9月に上総宿禰を賜姓されている。

それからしばらくたった光仁朝宝亀6年(775年)3月に隼人正に任じられているが、わずかひと月で、大隅三行と交替させられている。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『続日本後紀』承和7年12月27日条

参考文献

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関連項目

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