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本来の表記は「正親町三條公雅」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

正親町三条 公雅(おおぎまちさんじょう きんまさ)は、室町時代前期の公卿権大納言正親町三条実豊の子。官位正二位・権大納言、内大臣[1]紹宏院と号す。

 
正親町三条公雅
時代 室町時代前期
生誕 元中元年/至徳元年(1384年
死没 応永34年8月12日1427年9月3日
別名 号:紹宏院
戒名 祐戒
官位 正二位権大納言内大臣
主君 後小松天皇称光天皇
氏族 正親町三条家
父母 父:正親町三条実豊
兄弟 公雅、女子
実雅、実済、尹子、豊子、女子、女子
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目次

経歴編集

以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

応永13年(1406年)3月24日、参議に任ぜられる[2]。この時、正四位下右中将。応永14年(1407年)1月5日、従三位に叙せられる。同年3月29日、近江権守を兼ねる。応永17年(1410年)1月5日、正三位に昇叙。応永18年(1411年)閏10月9日、権中納言に任ぜられる。同年11月24日、帯剣を許される。応永19年(1412年)1月5日、従二位に昇叙[3]。応永20年(1413年)2月22日、喪に復すが同年3月5日には重ねて喪に服す。応永25年(1418年)6月5日、権大納言に任ぜられる。応永26年(1419年)1月6日、正二位に昇叙。応永34年(1427年)8月12日、薨去[4]。享年44。法名は祐戒。

伏見宮家の取次ぎ役編集

正親町三条家が後光厳院の外戚であったことの関係から、持明院統の本来の嫡流でありながら皇位からはずれていた伏見宮貞成親王の取次ぎ役であったことが知られている[5]

系譜編集

脚注編集

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  1. ^ 急死したため、実雅の時代に内大臣が追贈されたと考えられる。
  2. ^ 任参議以前の官歴は不明である。
  3. ^ この時までに大宰権帥を兼ねていたか。
  4. ^ 頓死の注記あり。
  5. ^ 横井 清、『室町時代の一皇族の生涯』

参考文献編集

  • 公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)
  • 尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)
  • 横井 清、『室町時代の一皇族の生涯』、講談社学術文庫