正親町三条実雅

室町時代前期から中期の公卿。従一位、内大臣、大宰権帥。正親町三条家10代。子に正親町三条公宣、正親町三条公冬。

正親町三条 実雅(おおぎまちさんじょう さねまさ)は、室町時代前期から中期にかけての公卿権大納言正親町三条公雅の子。母は家女房。官位従一位内大臣。青蓮華院と号す。妹・尹子(瑞春院)は室町幕府6代将軍足利義教の継室となった。

 
正親町三条実雅
時代 室町時代前期 - 中期
生誕 応永16年(1409年
死没 応仁元年9月3日1467年10月1日
改名 実雅→常禧(法名)
別名 青蓮華院
官位 従一位内大臣大宰権帥
主君 後小松天皇称光天皇後花園天皇
氏族 正親町三条家
父母 父:正親町三条公雅、母:家女房
兄弟 実雅、実済、尹子、豊子、女子、女子
公綱[1]公治公宣公冬三条実量[2][3]
養子:足利義視
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経歴

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以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

足利義教の側近

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妹の尹子室町幕府6代将軍足利義教の継室であった[9]。また、嘉吉元年(1441年)6月24日に発生した嘉吉の乱では、赤松満祐邸にて殺害された義教に陪席しており、将軍が討たれた際には果敢にも赤松氏から将軍に献上された金覆輪の太刀をつかみ防戦したものの、斬られて卒倒し、数箇所の傷を負った。

系譜

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脚注

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  1. ^ 権大納言。浅井氏祖?
  2. ^ 三条公敦の母
  3. ^ 『尊卑分脈』三条公敦の項には「実雅の猶子」とあるので実雅の実子ではないか。
  4. ^ 院御給。その後、侍従に任ぜられた。
  5. ^ 新帝称光天皇即位による。
  6. ^ 左大臣足利義教邸に行幸があった際の奉仕による賞。
  7. ^ 息男である公綱を権大納言に申任のため。
  8. ^ 後任は将軍足利義政である
  9. ^ 横井清『室町時代の一皇族の生涯』によると、義教は尹子のことを「上様(かみさま)」と呼ばせていたという。

参考文献

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  • 公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)
  • 尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)
  • 横井 清、『室町時代の一皇族の生涯』、講談社学術文庫

外部リンク

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正親町三条実雅』 - コトバンク