比企 能樹(ひき よしき、1933年7月28日 - 2022年10月14日)は、日本の医師。専門は、消化器外科学医学博士北里大学名誉教授。慶應連合三田会会長、慶應交詢社理事、慶應義塾理事・評議員を歴任。

経歴・人物 編集

父は国立がんセンター総長を務めた医師比企能達。 妻は九州大学名誉教授三宅博の長女である比企寿美子(ノンフィクション作家エッセイストフェリス女学院短期大学卒業)[1][2]

1933年東京都生まれ[3]神奈川県立湘南高等学校を経て[4]、1958年に慶應義塾大学医学部を卒業。同大学院医学研究科外科学専攻博士課程修了、医学博士。1966年から1968年まで旧西ドイツキール大学医学部外科に留学。1984年より北里大学医学部教授。1994年北里大学東病院院長を経て、1999年北里大学名誉教授

医学部4年生の時、ボート競技1956年メルボルンオリンピックに出場。「実は、私のオリンピック出場を許可するかどうか、医学部の教授会で問題となっていたそうです。なぜなら、出席日数が足りないからです。教授会の大勢としては、『もし行くなら留年させろ』という意見が多かったようですが、その場で、当時の学生部長であり、薬理学の教授であった西田先生の『行かせましょう』の鶴の一声で私は晴れてオリンピック代表になれました」と、当時を振り返る[5]

参考資料 編集

  • 『故比企能達先生追悼文集』日本大学医学部萩原内科学教室、1969年。
  • 比企寿美子『アインシュタインからの墓碑銘』出窓社、2009年。

脚注 編集

  1. ^ 2014年”. 神戸慶應倶楽部 (2017年10月26日). 2022年12月17日閲覧。
  2. ^ 比企先生紹介”. www.twmu.ac.jp. 2022年12月17日閲覧。
  3. ^ 株式会社ローソンエンタテインメント. “比企能樹|プロフィール|HMV&BOOKS online”. HMV&BOOKS online. 2022年12月17日閲覧。
  4. ^ 神奈川県立湘南高校・湘友会へようこそ、著名な先輩の紹介、若い先輩たちからのエールの言葉”. www.shoyukai.org. 2022年12月17日閲覧。
  5. ^ 小林哲夫 (2021年5月27日). “東大、一橋、慶應医学部から五輪選手に ボート競技で活躍した難関大出身者たち〈dot.〉”. AERA dot. (アエラドット). 2022年12月17日閲覧。

外部リンク 編集