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毘式四十粍機銃(ビしきよんじゅうミリきじゅう)は、大日本帝国海軍の装備した機関砲である。

毘式四十粍機銃
MundaJapaneseAAgun.jpg
ニュージョージア島西部、ムンダ・ポイントに設けられた毘式四十粍機銃の2連装銃座。
1943年8月、連合軍によりムンダ飛行場が制圧された後の撮影
種類 対空機関砲
原開発国 イギリスの旗 イギリス
運用史
配備期間 1925年 - 1945年
配備先 日本の旗 日本帝国海軍
関連戦争・紛争 第二次世界大戦
開発史
開発期間 1915年(原型開発年)
製造業者 ヴィッカース・アームストロング社/呉海軍工廠
製造数 銃本体 500 丁/銃架 200 基
派生型 一型・二型・三型
諸元
重量 機銃本体:281 kg
銃架込み総重量:
単装一型 971 kg/連装二型:2,354 kg
全長 2,502 mm
銃身 1,575 mm(39口径)

砲弾 40 × 158R
口径 40mm
砲架 単装及び連装
仰角 最大仰角:85 度/最大俯角:5 度
発射速度 200発/分(最大)
120発/分(連続最大)
60〜100発/分(実用)
初速 600m/秒
有効射程 約 1,100 m/2,000 m(射角 85 度)
最大射程 約 3,500 m(水平)
最大射撃高度 3,980 m
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“毘式”とはヴィッカース・アームストロング社のビ(ヴィ)を表している。

概要編集

 
原型となったQF 2pounder gun Mk.II
(カナダ軍艦艇に搭載されたもの)

水冷・ベルトリンク給弾式の機関砲で 1925年にイギリスヴィッカース QF 2ポンド砲Mk.II(いわゆるポンポン砲)を導入したものである。当初はイギリスより輸入したが、後に機銃・銃架ともに呉海軍工廠にてライセンス生産化された。

機銃本体に一型・一型改一・二型・二型改一・三型の各種があり、銃架は単装の単装一型・二型・三型と2連装の連装一型・一型改一型・二型があった。単装銃架は主に艦艇の対空砲として、連装銃架は駆逐艇や敷設艇の艦首備砲として装備された。

オリジナルと同様、給弾機構や機関部の設計に無理があり、機械的なトラブルが多発するために信頼性が低く、対空兵器としては発射速度が低い上に弾道特性も悪く、実用射程距離が短いため、有効性は高いものではなかった。1935年以降、十三粍機銃九六式二十五粍高角機銃といった新型の国産艦載対空機銃が開発・配備されるとそれらに置き換えられ、太平洋戦争時には主に小型艦艇の艦載砲、及び地上設置型の対空砲として用いられた。

実戦での運用編集

1942年(昭和17年)10月25日、ガダルカナル島において軽巡洋艦「由良」及び駆逐艦「秋月」と共に米軍急降下爆撃機SBDドーントレスと交戦した第二駆逐隊(白露型駆逐艦4隻)は、対空戦闘で40mm機銃を「村雨」288発、「五月雨」200発、「夕立」310発、「春雨」350発を発射しているが[1]、「対空兵器としての価値は極めて少ない」と評価している[2]

搭載艦編集

この他、単装、連装共に陸上基地の固定式対空砲座用としても使用された。

現存品編集

タイ王国サムットプラカーン県にある「海軍歴史公園」には毘式四十粍機銃の単装銃架型及び連装銃架型が展示されている。

各型編集

機銃本体編集

毘式四十粍機銃一型
ヴィッカース・アームストロング社よりの輸入品。25連ベルトリンク給弾式。
毘式四十粍機銃一型改一
一型の給弾機構を改造し二型と同じ50連ベルトリンク給弾式としたもの。
毘式四十粍機銃二型
給弾機構を改造し50連ベルトリンク給弾式としたもの。
毘式四十粍機銃二型改一
150発ベルトリンク給弾式に変更したもの。試作のみ。
毘式四十粍機銃三型
駆潜艇搭載用。25連ベルトリンク給弾式として小型化したもの。

銃架編集

毘式四十粍単装銃架一型
ヴィッカース・アームストロング社よりの輸入品。機銃1丁装備。
毘式四十粍連装銃架一型
ヴィッカース・アームストロング社よりの輸入品。機銃2丁装備。
毘式四十粍単装銃架二型
呉海軍工廠による国産品。搭載機銃を二型もしくは一型改一とし、操作手を2名としたもの。
毘式四十粍連装銃架一型改一型
単装銃架二型の搭載機銃を2連装としたもの。
毘式四十粍単装銃架三型
二型を改良したもので、機銃を毘式四十粍機銃三型とし、小型艦艇への搭載用に全幅を縮小したもの。
毘式四十粍二連装銃架二型
単装銃架三型の搭載機銃を2連装としたもの。

脚注・出典編集

  1. ^ #昭和17年9月〜四水戦詳報(6)p.56『五.消耗弾薬数』
  2. ^ #昭和17年9月〜四水戦詳報(6)p.59『(二)2dg型(白露型)装備ノ40粍機銃ハ急降下爆撃機ニ對シ射撃速度少且ツ故障多クシテ對空兵器トシテノ価値極メテ少ナリ速ニ25粍機銃ニ換装ノ要アリ』
  3. ^ #昭和17年12月〜4水戦日誌(2)p.4『12月22日1620大臣→佐鎮長官/部下工廠ヲシテ時機ヲ得次第 若葉 初霜 有明 夕暮 白露 時雨ノ40粍機銃ヲ在庫ノ25粍2連装一型改二(二型改)ト換装 之ガ代償重量トシテ予備魚雷2、及同格納庫ヲ撤去セシムベシ。工事及所要兵器ノ詳細ニ関シテハ海軍艦政本部長ヲシテ直接所要ノ向ニ通牒セシム。』

参考文献・資料編集

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030113400『昭和17年9月25日〜昭和17年11月9日 第4水雷戦隊戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030116100『昭和17年12月1日〜昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(2)』。

関連項目編集

外部リンク編集