氾勝之書』(はんしょうししょ)は、中国前漢晩期に成立した農書。全2巻18篇。書名は『氾勝之』、『氾勝之種殖書』、『氾勝之田農書』と様々に呼ばれた[1]。著者は成帝の下で議郎を務めた氾勝之である[2]

内容 編集

氾勝之は長安で農業に携わり、その過程で得た経験から本書を編纂した。『漢書』芸文志では農家の一つで、18篇[2]。前漢の農業をまとめた集大成であり、以降中国で成立する様々な農書の先例を築き上げた[3]

氾勝之書は北宋初期に散逸したが、北魏時代に賈思勰によって編纂された『斉民要術』などに多く引用されており、約3500字分の内容はそれら書物から読み解くことが可能である[3][1]。20世紀になって、それらの内容を集成して、石声漢は『氾勝之書今釈』を編集した(日本語訳書の底本でもある)。

氾勝之書は、耕作、種まきなど栽培全体に通じる方法、個々の作物ごとの栽培法、陰陽五行にもとづく占いの方法を含んでいた[4]。特にキビヒエ大豆小豆クワユウガオイモなどに関しては深く記述されていた。土の硬さ・湿りと降雨の関係や、季節により耕すべき時期、耕してはならない時期があること、その時期の判断の方法など、具体的な技術指導がある[5]。溲種法という肥料・虫除けを種に混合して保存・播種する方法、区田法という細かな区画に作った溝や穴に作付けする方法も記す[6]

影響 編集

氾勝之書は後世の農書に大きな影響を与えただけでなく、後漢末の学者の鄭玄による『周礼』の『礼記』や、の学者の賈公彦による『周礼注疏』などでも言及されている[7]

日本語訳 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 西嶋定生『中國経済史研究』、41頁。
  2. ^ a b 『漢書』巻30、芸文志第10、農家。ちくま学芸文庫版『漢書』3の549頁。
  3. ^ a b 龔書鐸 (2009). “第四十八章延伸知識〈中國最早的農書《氾勝之書》〉”. 《圖說秦漢》. p. 165 
  4. ^ 西嶋定生『中國経済史研究』、42頁。
  5. ^ 西嶋定生『中國経済史研究』、43 - 45頁。
  6. ^ 西嶋定生『中國経済史研究』、45 - 47頁。
  7. ^ 王子今 (2009). “第五篇〈農學成就〉”. 《秦漢史—帝國的建立》. p. 344-345 

参考文献 編集

日本語 編集

  • 西嶋定生、『中國経済史研究』、東京大学出版会、1966年。

中国語 編集