沼垂郡(ぬたりのこおり、ぬったりぐん)は、古代越後国にあった。越後国北部の阿賀野川荒川の間の地域で、おおむね近代以降の北蒲原郡、現在の新潟駅付近から新発田中条にかけての地域に相当する。

歴史 編集

日本海沿岸北部における蝦夷支配の拠点として設置された渟足柵(ぬたりのさく、647年設置)を中心に編成された。北隣の岩船郡および出羽郡(のち出羽国の一部)とともに越後国に属した。中世以降は現れることがなくなり、時期は不明確ながら南隣の蒲原郡に統合されたと考えられている。

式内社 編集

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

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神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
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消滅後の沿革 編集

なお、江戸時代初期に幕府刈羽郡を旧称に復するとして「沼垂郡」と呼んだことがあるが、刈羽郡の旧称は三島郡であり、この措置は誤りであった。また、明治維新期に設置された越後府の管轄地域を指定した布告に「沼垂郡」が見られる(「公文禄」明治元年9月3日)。

関連項目 編集