津島 堅石(つしま の かたいわ)は、飛鳥時代貴族対馬とも記される。のち朝臣官位従五位下遣新羅副使

出自 編集

津島氏(対馬連)は中臣氏と同祖とされる天神氏族[1]。氏の呼称は対馬島の地名に由来する[2]

経歴 編集

文武朝大宝2年(702年)の御野国戸籍に、御野国大掾従七位上津嶋連堅石とある。

慶雲3年(706年遣新羅使の使節が任命され、美努浄麻呂が大使に、堅石が副使となる。同年11月に作成された新羅王・聖徳王への勅書の中で、大使の従五位下の浄麻呂ともに「副使従六位下対馬連堅石」を派遣する旨が記されている[3]。記録にはないが、浄麻呂とともに新羅へ渡り、翌慶雲4年(707年)5月に帰国したと想定される。

その後、時期は不明だが、姓から朝臣姓に改姓し、元明朝和銅元年(708年従五位下叙爵している。

官歴 編集

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注 編集

  1. ^ 「大中臣朝臣同祖、津速魂命三世孫天児屋根命之後也」(『新撰姓氏録』摂津国神別)
  2. ^ 佐伯[1994: 316]
  3. ^ 『続日本紀』慶雲3年11月3日条
  4. ^ 『大日本古文書』1巻24頁,56頁

参考文献 編集