津田 弘孝(つだ ひろたか、1906年9月17日 - 1987年12月14日)は、日本経営者

来歴・人物 編集

東京都出身[1]1929年に高文行政科に合格し、1930年東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に鉄道省に入省し、1956年11月までに日本国有鉄道で勤務[1]1957年1月に日本交通公社(現在のJTB)理事に就任し、1963年11月に副社長を経て、1970年5月に社長に就任した[1]1976年6月に会長に就任し、1982年6月から取締役相談役を務めた[1]

1977年4月に勲二等瑞宝章を受章した[1]

1987年12月14日心不全のために死去[2]。81歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 興信データ株式會社 1985, つ6頁.
  2. ^ 1987年 12月15日 日本経済新聞 朝刊 p31

参考文献 編集

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第33版 下』興信データ、1985年。