清原惟岳
清原 惟岳(きよはら の これおか)は、平安時代初期から前期にかけての皇族・貴族。もと惟岳王を名乗るが、清原真人姓を与えられて臣籍降下。加賀守・清原長田の子。官位は従五位上・豊前守。
時代 | 平安時代初期 - 前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 惟岳王→清原惟岳 |
官位 | 従五位上・豊前守 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇→陽成天皇 |
氏族 | 清原真人 |
父母 | 父:清原長田 |
兄弟 | 基雄、惟岳、常名 |
経歴 編集
正六位上・内舎人に叙任された後、承和13年(846年)兄弟の基雄王・常名王らと共に清原真人を与えられて臣籍降下する。
清和朝に入り、民部大丞を経て、貞観2年(860年)従五位下に叙爵し、翌貞観3年(861年)勘解由次官に任ぜられる。その後、貞観4年(862年)加賀介、貞観12年(870年)遠江守と地方官を歴任する。貞観18年(876年)の清和天皇の譲位にあたっては、固関のために美濃国へ派遣されている[1]。
官歴 編集
『六国史』による。
脚注 編集
- ^ 『日本三代実録』貞観18年11月28日条