清原 高国(きよはら たかくに、生年不詳 - 1557年天正5年)4月)は、戦国時代阿波国人領主である。阿波国本庄城主。清原安芸守と称した。若い頃は内記と名乗り、晩年は入道し乗真と改めた[1]

経歴編集

備中国足守の出身で1506年永正3年)に本庄に来居し、現在の徳島県阿南市長生町本庄城を築いた。当時、那東郡の十六将のうち竹原・宇奈瀬・岩脇・山本・桑野・板西・福井・井川の八将を率いたとされる。石高は100貫とあり阿波国では中の上クラスの城主とされる[1]1533年天文2年)守護細川持隆の命により泉八幡宮を再興した[2]

1552年(天文21年)の槍場の義戦にて首級を挙げ三好長治より名西荘を加増された[2]。1557年(天正5年)4月に没し(享年73)桂国寺に葬られた[1]。高国には子がなく、宇奈瀬氏の子乗慶を養子として入れ、清原備後守乗慶と名乗らせた。乗慶の子は清原長吉といい現在の阿南市下大野町に移り住んだ[1]

脚注編集

  1. ^ a b c d 『日本城郭大系15 香川・徳島・高知』菅 英志、1979年12月10日、270頁。 
  2. ^ a b 『徳島県の中世城館』徳島県教育委員会、2011年3月1日、432頁。