渡辺 登綱(わたなべ のりつな)は、江戸時代中期の大名和泉国伯太藩の第2代藩主。伯太藩渡辺家4代。

 
渡辺 登綱
時代 江戸時代中期
生誕 元禄7年(1694年
死没 明和4年10月21日1767年12月11日
改名 源十郎(幼名)→登綱
官位 従五位下丹後守越中守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重家治
和泉伯太藩
氏族 三河渡辺氏
父母 父:渡辺基綱、母:渡辺方綱
兄弟 登綱山口弘長(三男)、戸田光言正室、志水忠梁室(後酒井忠雄継々室)、長谷川勝清正室、高木允貞室など
正室:松平定陳長女
継室:松平定陳次女
充綱(長男)、信綱(次男)、朝綱(四男)
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略歴編集

元禄7年(1694年)、当時野本藩主であった渡辺基綱の長男として野本にて誕生した。

享保13年(1728年)、父の死去により跡を継いだ。

明和4年(1767年)9月10日、次男の信綱に家督を譲って隠居し、同年10月21日に死去した。享年74。