湖南市立下田小学校

滋賀県湖南市にある小学校

湖南市立下田小学校(こなんしりつ しもだしょうがっこう)は、滋賀県湖南市下田にある市立小学校

湖南市立下田小学校
地図北緯35度1分18.85秒 東経136度7分50.73秒 / 北緯35.0219028度 東経136.1307583度 / 35.0219028; 136.1307583座標: 北緯35度1分18.85秒 東経136度7分50.73秒 / 北緯35.0219028度 東経136.1307583度 / 35.0219028; 136.1307583
過去の名称 大成学校
尋常科下田小学校
下田尋常高等小学校
下田尋常小学校
下田国民学校
下田村立下田小学校
甲西町立下田小学校
国公私立の別 公立学校
校訓 大成
共学・別学 男女共学
学校コード B125221100052 ウィキデータを編集
所在地 520-3201
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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沿革

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1874年明治7年)に大成学校として開校した。校名は1886年(明治19年)に尋常科下田小学校、1901年(明治34年)に下田尋常高等小学校、1908年(明治41年)に下田尋常小学校、1941年昭和16年)に下田国民学校へそれぞれ改称された後、1947年(昭和22年)に現校名となった(※当時は下田村。後に市町村合併の関係で市町村名の変更が2回行われている)。

その後、1968年(昭和43年)に湖南工業団地が造成されたことによって新興住宅地が急増し、児童数も増加した。1977年(昭和52年)には学区分離が行われ、その対象となった学区には甲西町立水戸小学校(現在の湖南市立水戸小学校)が設けられた[1]

年表

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  • 1874年明治7年)3月 - 大成学校として開校。
  • 1876年(明治9年) - 新校舎を築く。
  • 1886年(明治19年)9月 - 校名を尋常科下田小学校に改称。
  • 1898年(明治31年) - 新校舎を築く(※現在は同地に下田公民館が建つ)。
  • 1901年(明治34年)4月 - 校名を下田尋常高等小学校に改称。
  • 1908年(明治41年)4月 - 高等科の廃止に伴い、校名を下田尋常小学校に改称。
  • 1922年大正11年)6月 - 現在地に移転する。
  • 1928年昭和3年) - 正面校舎を築く。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 校名を下田国民学校に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 校名を下田村立下田小学校に改称。
  • 1953年(昭和28年) - 校歌を制定する。
  • 1958年(昭和33年)10月 - 下田村が甲西町に編入される。校名を甲西町立下田小学校に改称。
  • 1971年(昭和46年)5月 - 北校舎が竣工する。
  • 1975年(昭和50年)11月 - 南校舎が竣工する。
  • 1976年(昭和51年)3月 - 体育館が竣工する。
  • 1977年(昭和52年)4月 - 当校から甲西町立水戸小学校(現在の湖南市立水戸小学校)が分離し、開校。
  • 1985年(昭和60年)4月 - 東校舎が竣工する。
  • 1990年平成2年)
    • 4月 - プールが竣工する。
    • 10月 - 運動場に夜間照明設備が設置される。
  • 1994年(平成6年) - 創立120周年記念モニュメント「新芽」を建立。
  • 2004年(平成16年)10月1日 - 甲賀郡甲西町と石部町が合併して湖南市が発足。湖南市立下田小学校に改称。
  • 2017年(平成29年) - コミュニティスクールを開始。

基礎データ

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スローガン

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  • 校訓 - 大成[2]
  • 教育目標 - あきらめず何度でもチャレンジする児童の育成[2]

学区

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下田、日枝町、岩根字大谷の一部、岩根字ワンワン山の一部、日枝山手台一丁目[3]

進学先中学校

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アクセス

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著名な卒業生

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脚注

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  1. ^ 学校紹介”. 湖南市立下田小学校. 2008年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月7日閲覧。
  2. ^ a b 教育目標”. 湖南市立下田小学校. 2023年4月7日閲覧。
  3. ^ a b 湖南市立学校の通学区域に関する規則
  4. ^ WBCバンタム級世界チャンピオン山中慎介選手 下田小学校卒業式で後輩にエールを送る” (PDF). 湖南市 (2017年3月15日). 2023年4月7日閲覧。 “(※山中は2017年3月に挙行された卒業式に来賓として出席している)”

関連項目

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外部リンク

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